■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■画業に■■る■■■■(■■■■■■■■■■)■関■■■■■■れた。そのうち6つが現存し、3つがコルドバのカルドナ公コレクションに、3つがブダペストの国立美術館に現在所蔵される。コルドバの3作例には7■の軍艦が認められる。155場面に分類されるトラヤヌス記念柱浮彫りでは、場面2■3に3■、場面4■5に8■、場面33■36に7■、場面46■49に6■、場面79■83に5■、全体では29■が表現されている。116場面に分けられるマルクス・アウレリウスの記念柱浮彫りでは、場面2に3■、場面3に8■、場面28に2■、場面34に2■、場面58に3■、場面81に1■、場面84に4■、場面107に4■、場面111に2■、場面115に5■、全体では34■が認められる。本研究では、3作例に見られるこれら70■の軍艦表現を調査対象とする。今後の構想としては、図像による研究を文献学や碑文学によるこれまでの成果と結びつけることを考えている。図像による考察を文献や碑文に残される内容と比較検討し、類似点及び相違点に着目して、ローマ海軍の実態についてさらに研究を進める。研 究 者:国立西洋美術館 特定研究員 浅 野 菜緒子本研究は、ミレイ周辺でその画業に関与した女性たちの特定と、画家との協働関係を明らかにし、ミレイの芸術的展開に対する女性たちの貢献と影響を提示することを目的とする。ミレイ研究史はその没後すぐに出版されたスピルマン(1896年)やJ. G. ミレイ(1899年)の伝記に■るが、その周辺で画家の芸術実践に携わった女性に関しては1965年と1967年のラッチェンスによる調査を待たねばならなかった。ラッチェンスの最大の功績は、グレイ家およびラスキン家の書簡など一次資料に基づき、エフィーのラスキン夫人、そしてミレイ夫人としての半生をつまびらかにした点である。その後2000年から2010年代にかけエフィー再評価の動きが高まり、スミスやフェイジェンス・クーパーらはミレイにラファエル前派からの脱退と商業画家への転換を促したファム・ファタルという従来の人物評を否定し、教養と野心を兼ね備え夫との協働に勤しんだエフィー像を提示した。しかしながらこの一連の研究の関心の対象はあくまでもエフィーであり、それ以外の家族や友人などミレイの私的・公的領域を構成した女― 50 ―
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