鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■に関する研究■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■本調査研究の意義としては以下の3点があげられる。まず磯崎の活動は多岐にわたり、その全貌を把握するのは容易ではないが、美術という文脈から《福岡相互銀行本店》にアプローチすることで、建築と美術の境界を越境した磯崎の一側面が浮かび上がってくる。「高松次郎 思考の宇宙展」(2004年)において高松次郎の《影の部屋》についての調査がなされたが、その他についてはまだ調査の余地がある。磯崎や応接室を手がけた野見山暁治など、関係者は高齢化しており、早急な調査が望まれる。また、近年、老朽化などによって建築史的に重要な建築が解体される事例が相次いでいる。四島が磯崎に依頼した福岡相互銀行の建築群はすでに取り壊されており、これらの建築の情報を可能な限り調査して、まとめること自体に意義がある。最後に、主に1960年代後半から1970年代前半にかけて、磯崎の重要なパトロンであった四島が磯崎に依頼した福岡相互銀行の建築群に着目することで、大分のみならず、福岡という土地がその後の磯崎の活動の大きな基盤となったことが明らかとなる。なお、本研究によって得られた成果を将来的に展覧会及び図録として公表することを考えている。研 究 者:東京藝術大学 美術学部 教育研究助手  坂 口 英 伸◆意義本研究の意義は先行研究の批判的検証にある。先行研究は四魂像を「信楽焼」とするが、これは宮崎県が発行した《八紘之基柱》の概要を典拠にしている。しかし筆者の調べでは、四魂像が信楽焼であると日名子自身が説明した記述は見出せず、従来の定説を見直す必要があると考えた。四魂像が陶器(テラコッタ)で作られている点に着目し、日名子が手掛けた陶彫について調べる過程で、四魂像に先行して、日名子が陶器でレリーフ作品を制作していた事実が判明した。それが1933(昭和8)年に東京大学医学部附属病院管理研究棟の外壁に設置された陶製レリーフ《長崎時代》である。この作品は現存しており、東京大学に残された資料から、《長崎時代》が泰山製― 56 ―

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