鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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陶所で制作された事実に■り着いた。つまり日名子が四魂像の制作に着手する以前に、日名子と泰山製陶所が協働して作品を制作していたことになる。この作品制作を通じて日名子と泰山製陶所が出会い、この邂逅がのちの四魂像の制作に結びついたと筆者は考える。筆者はこの《長崎時代》を四魂像に先立つ先行作例と位置づけ数年にわたり調査を続けた結果、四魂像が泰山製陶所で制作されたと記載した新聞記事を発見した。したがって、先行研究の信楽焼説よりも、京焼(泰山製陶所)とする筆者の説の方がより合理的であると考え、本研究の申請に思い至った。本研究は先行研究とは異なる新たな説の提唱であり、この点に本研究の意義があると考えられる。◆価値近代日本の陶彫の研究は、「陶彫の創始者」とされる沼田一雅や、工部美術学校でヴィンチェンツォ・ラグーザの指導を受けた寺内信一を中心として展開されてきたが、本研究で日名子実三という新たな作家を考察の対象とし、近代日本彫刻史の新たな画期としたいと筆者は考えている。実は日名子は陶器に対して並々ならぬシンパシーを抱いていた。日名子は古墳時代の埴輪を日本の彫刻の原点と考え、埴輪作りの技術者集団であった土部(ハニベ)に倣って、制作仲間とともに彫刻家集団「ハニベ会」を結成し、作品披露や研究成果の発表の場として機関誌『ハニベ』を発行した。つまり陶器による作品制作は、日名子の制作活動の原点なのだ。日名子による陶彫制作という新たな論点を設定して研究を展開することで、近代日本彫刻史における新たな視座の獲得という価値があると筆者は考える。◆構想本研究の主軸は、①四魂像と四魂像組立原図との関係性、②泰山製陶所が日名子から制作を請け負う経緯、それぞれの解明に置く。①の実現を目的として、四魂像が所在する宮崎市に赴き、四魂像および四魂像の陶片を調査する。四魂像は1体あたり100以上の不定形の陶片同士の組み合わせで構成されており(集成モザイク)、この陶片の形状や組合せの関係は目視および撮影した画像で確認できる。像を構成するこれらの陶片は、組立原図に従って成形・焼成されたと考えられる。陶片は不定形であるため、四魂像および四魂像の陶片と組立原図を互いに参照することで、四魂像と組立原図との関係性解明につながると期待できる。これはジグソーパズルを読み解くような地道な作業となることが予想されるが、根気よく照合作業を続けたいと考える。四魂像組立原図は、改めて日名子の遺族から借用する予定である。また②に関しては、― 57 ―

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