鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■に■■■■■■■■■■に■る■■■■■■■■■■京都での泰山製陶所に関する資料調査、池田泰山の遺族からの聞き取り調査、宮崎県文書センターでの一次資料の調査などによって遂行したいと計画している。また、筆者がこの数年間で実施した泰山製陶所に関する基礎調査の成果も本研究に吸収しつつ、研究の内容をさらに発展させたいと考えている。研 究 者:九州歴史資料館 技術主査(学芸員)  遠 藤 啓 介①その意義筑前高取焼の研究は、江戸時代前期の中核的な生産地である内ヶ磯窯(直方市所在:慶長19年(1614)〜寛永6年(1629))、白旗山窯(飯塚市所在:寛永7年(1630)〜寛文5年(1665))を中心に進められてきた。それは、茶陶からの美術史的な研究、筑前高取焼の記録を残す「高取歴代記録」「筑前国続風土記」「黒田家文書」などの歴史学的な研究、また上記の内ヶ磯窯と白旗山窯における発掘など考古学的な成果も大きい。これら多くの先行研究の中で、筑前高取焼と小堀遠州との関係を論ずるが、「遠州高取」とされる一群の具体的な特徴(器形、釉薬、胎土など)を考察するものは少ない。筑前高取焼は近世を通じて、藩内を移動しながら生産を続け、白旗山窯以降も茶陶の生産を続けており、小石原鼓窯、東皿山窯、西皿山窯などがあり、その多くは「遠州高取」の伝統を受け継いでいる。本研究において「遠州高取」に見る「綺麗さび」の具体的な事象を明らかにすることは、筑前高取焼の近世の様式変化の基盤部分を考えることであり、その意義は大きい。また、福岡県内の近世窯業地はこの筑前高取焼と豊前上野焼の二系統があり、特に筑前高取焼は筑後(久留米・八女地域)の窯業に大きな影響を与えており、地域の窯業史研究に資するところも極めて大きい。②その価値九州における近世陶磁器の発展は、安土桃山時代における茶の湯の隆盛を背景に、各地の戦国大名が自国での茶陶生産を始めたことに由来する。そして、その時代の指導的な茶人に大きな影響を受けている。江戸時代前期の指導的な茶人の一人が小堀遠州(天正七年(1579)〜正保四年(1647))であり、その茶会記を集成した『小堀遠州茶会記集成』、遠州の遺した茶道具に関する『遠州蔵帳』、遠州の仕立てた茶入れなど― 58 ―

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