鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■■■■■■に関する研究たが、それと表裏一体をなす南方の亡国出身の官僚たちの思いと密接に関係して形成された山水画であった可能性を筆者はすでに明らかにしている。各々の立場が複雑に絡み合う北宋前期は、都開封の華々しい建国の気運のなかにあり向かっている方向は皆同じでも、抱えているものは皆違い、こうした混沌とした在り様こそ北宋前期の様相であり、こうした意味での多様性のなかで個別の作品を理解したい。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  由 良 茉 委マリー・ローランサン(1883■1956)は、多くの芸術家らと早い時期から親交を結び、その豊かな交友関係はこれまでも注目を集めてきた。特に、画業初期に出会ったパブロ・ピカソや、1920年代にパリで共に活躍したデザイナーのココ・シャネルらとの交流は広く知られ、ローランサンが彼らを描いた肖像画は多数の論考で言及されている。また最近では、マリー・ローランサン美術館館長の吉澤公寿氏による『マリー・ローランサンとその仲間たち』(幻冬舎、2022年)において、ローランサンと150名以上に及ぶ著名人たちとの関係が紹介されるなど、画家を取り巻くコミュニティは今日も高い関心を集める存在といえる。しかし、先行研究において人物間の交流自体に焦点が当てられてきた一方、その繋がりが実際のローランサンの制作にどのような影響を及ぼしたのか、また存命中のローランサンが画家としていかなる位置づけを得ていたのかについては、未だ十分に検討されていない。女性画家としての固定の枠組みで語られることの多いローランサンだが、その評価を再考するためには、今一度同時代の動向と制作とを結びつけて考察する必要がある。そこで本調査研究では、友人の画家たちがローランサンを直接的に描いた作品に着目し、特に重要と思われる四点を中心に取り上げ、それぞれの表現の意図を考察する。さらに当時の批評などをあわせて検討しながら、他者の視点を通してローランサンの同時代評価を明らかにすることを目指す。考察の対象とする主な作品は、①ジャン=エミール・ラブルール《絵を描くマリー・ローランサン》(1913年、ナント美術館)②フランシス・ピカビア《マリー・ローランサンの肖像》(1916■17年、国立近代美術館、パリ)③マックス・エルンスト《さらばマリー・ローランサンの美しき世界》(1920年、ニューヨーク近代美術館)④エドモン=フランソワ・アマン=ジャン《マ― 61 ―

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