■ ■国■■■■■■■美術に■■る■に■■■ ■■■■■■に■ち、観想念仏の本尊として機能していた可能性を示す。したがって、香雪本は天台浄土教の観想を重視する立場に立脚する作品だったと想定され、その意味で「仏涅槃図」との制作事情の近さがうかがえる。さらに本研究の進展によって、陸信忠が延慶寺を中心とした天台浄土教といかなる距離感をもって制作を行っていたか、陸信忠工房の立ち位置も浮き彫りになると予想される。作品に教義的裏付けを与えうる寺院との関係性は、画行という専業組合との関わりと同等程度に、工房を主宰する陸信忠の制作方針に直結する事案だったと思われる。阿弥陀三尊の礼拝像という香雪本の存在は、延慶寺と陸信忠との距離を再考する手がかりとなるだろう。寧波で数多の仏画師が活動していたなか、日本に舶載され伝来した陸信忠作品が最も多い理由は、工房の所在地が日本船の発着場所と近かったことも勿論無関係ではなかろうが、日本側の要望に応えるだけの多様な作画が陸信忠工房には可能であったことが大きく働いたのではなかろうか。陸信忠は注文主の要望に応え庶民の日常的な死生観を画中に盛り込むという作画態度をとっていたと指摘されており、そうであれば、渡宋した日本人たちが接した、寧波仏寺の内外で行われた阿弥陀浄土信仰の実際が香雪本のなかに色濃く表れていることになろう。中国側の窓口である寧波を介しての日中交流については研究の蓄積があるが、寧波仏画を窓口にして中国の宋元・遼金時代の仏教文物を眺めた時に見えてくる景色については、上述の井手氏による涅槃相に関する研究以外はまだほとんど進んでいない。寺院や道観の壁画等、建築構造物に描かれた絵画を除いて、当時の中国仏画の残存数が少ないことに起因する研究状況ではあるが、寧波の一仏画師・陸信忠の再考という本研究を糸口にして、中国諸地域の仏教や仏教美術が寧波とどのような関係を持ち、はたまたそれが日本とどのように関わるのか、広い視野のもとに研究を進めたいと考えている。研 究 者:早稲田大学等 非常勤講師 下 野 玲 子◆目的仏教はインドから中国に伝来してその地で受け入れられるために大きく変容したこ― 65 ―
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