とが知られている。その結果、「頓悟」を旨とする禅宗が勃興し急速に発展したように、教義的にも、また美術、建築、儀礼などの文化も元から中国にあった文化と融合し、あるいは儒教や道教、民間信仰とも互いに影響し合い、インドとは異なる独自の発展を遂げてきた。特に南北朝時代はその変化が著しいとされている(菊地章太『儒教・仏教・道教:東アジアの思想空間』講談社、2022)。本研究はそのような仏教の中国化という大問題のわずかな部分ではあるが、美術における変化の一端を明らかにすることを目的としている。◆構想本研究では、南北朝時代(439〜589)の多岐にわたる仏教美術作品の中で初期の北魏時代(439〜534)を中心に、鳥、特に尾羽の長い鳳凰形の鳥に焦点を当て、その作例を収集・分類して地域あるいは年代による特徴を洗い出す作業をおこない、同時にあらわされた場面・場所などから名称や意味づけについて検討を試みたい。鳳凰といえば中国を代表する霊鳥であり、君主が徳のある政治を行ったことの徴として天が下す「祥瑞」の一つともされている。後漢時代(25〜220)の画像石や南朝の画像磚に名称の題記を伴ってあらわされた作例も少なくなく、中国伝統思想に由来する図像であることはいうまでもない。それらと同じような尾羽の長い鳳凰形の鳥は、北魏の雲岡石窟・龍門石窟などの浮彫では、仏菩■像を取り巻く周辺部分に頻繁に見いだされるが、それらはいわば脇役的な存在として造られ、単に中国伝統の祥瑞的な鳥獣を仏教の理想的世界の一情景として取り込まれたに過ぎないかもしれない。しかしながら、例えば南朝梁の石造須弥山図浮彫には仏教の金翅鳥(■楼羅)と解釈できる鳥が尾の長い鳳凰形にあらわされているため、金翅鳥は中国では鳳凰の姿形を借りて表現されたと考えられ、これを仏教美術における中国化表現の一例ととらえることも可能であろう。鳳凰形に表現された金翅鳥の図は日本の飛鳥時代に制作された玉虫厨子の須弥山世界図下部左右、時代が下った唐時代の敦煌莫高窟壁画に描かれた八部衆中の■楼羅(甲冑を着けた天部像の頭上に表現される)にも見ることができる。そこで、本研究では仏教美術に見られる鳳凰形の鳥図像を分類する際に、金翅鳥として解釈が可能性かどうかを一つの指標としたい。仏教美術ではないが北魏時代には石棺等の墓葬美術に龍や鳳凰に乗る神仙が描かれることがある(黄明蘭編『北魏洛陽世俗石刻線画集』人民美術出版社、1987)。鳳凰― 66 ―
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