鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■■19■■■■■■に■■る動■表■に乗る仙人像は西魏時代の敦煌莫高窟第249窟天井画のように仏教美術の中に表現される作例も知られているが、中には明確に仏教図像である菩■として表現された像が少数知られている。例えば大阪・藤田美術館所蔵の金銅製菩■像は尾の長い鳥に乗っており、交脚像であることと台座銘文内容から弥勒菩■と考えられている(台座と一具でない可能性も考慮しなければならないが、台座には北魏・神亀元年(518)銘がある)。また中国甘粛省麦積山石窟第133窟内にある北魏時代の10号碑像は、過去・現在・未来の三世仏を中心に仏伝図・維摩文殊の問答場面などの当時流行した主題が浮彫されており、そのうち乗象入胎の上部に鳥に乗って飛ぶ菩■像(あるいは天人)があらわされている。これらの菩■像がなぜ鳥に乗っているのか、これまでほとんど説明されたことはない。そこで、藤田美術館像をもとに弥勒菩■と鳥との関連性について、弥勒関係の漢訳仏典と敦煌遺書などに残る南北朝時代成立の疑経類を用いて解釈が可能かどうかも試みたい。研 究 者:国立西洋美術館 研究員  山 枡 あおい筆者は修士論文において、1861年のサロン出品作である〈狩人のための連作〉(以下〈連作〉と略記)、すなわち《雄鹿の闘い》(オルセー美術館)、《水辺の雄鹿》(マルセイユ美術館)、《猟犬係》(ノイエ・ピナコテーク)の三点を中心に取り上げ、フーリエ主義者アルフォンス・トゥスネル(1803■1885)の著作『動物の精神:フランスの狩猟と情念動物学』(1847年初版)との関連に着目しながら、その再解釈を試みた。結論を端的に述べるとするならば、筆者は、画家がトゥスネルの著作の内容に依拠することで伝統的な狩猟画の制度を支えていたイデオロギーの転覆を図るとともに、雄鹿=迫害の犠牲者=独創的な芸術家としての自己イメージを形成した、という解釈の可能性を提示した。本研究の次なる段階では、同時代の絵画と文学における動物表象について、当時の狩猟実践や動物愛護運動などをめぐる社会的状況、そしてトゥスネルの著作の余波を踏まえた、より精密な調査・分析を行いつつ、〈連作〉と同時期のクールベの作例および1861年以降の展開を考察する。本研究の最大の意義は、従来のクールベ研究、ひいては近代美術史研究において等― 67 ―

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