鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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閑視されてきた動物ないし狩猟という主題に、社会史的・文化史的観点から新たな光を当てる点にある。さらに、クールベ研究の枠組みにおいては、以下の三つの点から意義が期待できる。第一は、従来のクールベ研究の精神分析的方法論に対する批判である。吊るされた鹿のモティーフを中心に論じたF.リーマン(1999)をはじめ、近年ではG.ティトゥ(2010)やY.サルファティ(2013)など、クールベにおける狩りの獲物の表象に、画家の自己投影を読み取る研究者は少なくない。むろんその作品が何らかの形で制作時の画家の精神状態や実生活の局面に対応していることは否定すべきでないにせよ、先行研究のほとんどは画家の伝記や現存する書簡の言説などからあらかじめ措定された画家像を作品解釈に当てはめているにすぎず、本研究はそうした方法論に対する抜本的な批判となりうる。第二は、クールベの絵画と同時代の文学、イメージとテクストの関係という問題である。筆者は修士論文において一次史料調査に基づき、クールベとトゥスネルの関係の一端を、シャンフルーリやボードレールら周辺作家との関係を含め明らかにした。先行研究では、A.シェオン(1981)がシャルル・ノディエの小説、M.アダ(1988)がジョルジュ・サンドの小説との関係を論じているが、本研究は、クールベがいかに同時代の文学作品からテクストを採取しイメージとして再構成したか、という制作論的な問いに対し、新知見をもたらすことが期待できる。そして第三は、クールベと時の社会主義思想との関係という根本的問題である。画家がフーリエやプルードンらの思想に対する共感をあらゆる機に表明していたことは周知の事実である一方、その思想がいかに作品に反映されているか、という点については必ずしも共通の認識は打ち立てられていない。2010年の論文集「クールベ/プルードン:芸術と民衆」はこの点に関していくつかの新知見を加えたが、動物表象は議論の対象に含まれていない。そもそも19世紀前半のいわゆる〈社会芸術〉についてのN.マクウィリアム(1993)らの研究が示すように、この時代の社会主義思想がプロパガンダと呼べるような直接的な芸術表現を生むことはきわめてまれであったが、本研究は、画家が作品において何を表現し、また何を表現しえなかったかという問いに対し、多少とも新しい視点をもたらすことが可能であろう。― 68 ―

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