■ ■■■に■■る■■美術■■■■研究 ■■■■■■■■■■■に■派画家の作品が多く含まれている。そこには、幕府に仕える御用絵師であったにもかかわらず、現存する記録や作品が乏しく、なかなか研究の進まない画家も多く含まれている。現在する江戸幕府の外交用贈答品絵画資料には、このような狩野派画家たちに関する大量の情報が秘められている。本研究では、まだ名の知られていない狩野派画家たちに関する新しい情報を探ることも試みたい。これは狩野派に対する一層の理解を可能にする土台にもなりうるものである。研 究 者:北海道立近代美術館 学芸員 熊 谷 麻 美本研究の目的は、以下の2項目にまとめられる。①北海道の仏像、仏画の仏教美術史上の位置づけの検証北海道内に伝来する仏像や仏画は、研究の対象とされる機会が少なかったが、文献においてどのように述べられてきたのかを調査することによって、北海道の仏教美術作品にどのような眼差しが注がれてきたのかを、また、個別の作品についてどのように語られてきたのかを整理したい。現代の文献に止まらず、北海道に仏教寺院が建立しはじめた江戸時代後期や明治期の紀行文等から、同時代の人々が北海道の仏像、仏画に向けた眼差しを探れる可能性がある。例えば、松浦武四郎『納紗布日誌』(1863年)の中で国泰寺について述べた項には、本尊が釈■如来像であることや、その像高などといった特徴が記されており、当時伝来していた作例の実態を知ることができる点で貴重である。また、森一馬『罕有日記』(1857年)には、厚岸の地に盂蘭盆会の日にたどり着いた筆者が父母を偲んで拝仏した感慨が記されている。北海道(蝦夷地)という日本史上特異な地において「ほとけ」の姿が在ることが、いかに人々の精神に作用したのか、その眼差しをたどることで、北海道において仏像が求められた役割を解き明かすことが期待される。②北海道内に点在する仏像、仏画の全体像の把握地方ごと、時代ごとの傾向が掴めている本州の地域とは異なり、仏像、仏画の伝来の実体が明らかにされていない北海道においては、まずは道内にどのような作例が所在するのかをリストアップして、作例の傾向を把握していくことから研究を始める必要がある。この作業は、筆者が今後計画している、道内に伝来する作例の悉皆的な調― 70 ―
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