鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■に■査を実行するにあたって、重要な足がかりとなる。北海道は開拓などのために、日本各地から人々が移住したという歴史的背景を持つ。道内各地に点在する作例も、人々の移動に伴ってもたらされ、特徴的な来歴をもつ可能性が多いにある。所在や来歴を調査しリストアップすることで、北海道全体のみならず、地域による傾向の把握にもつながることが期待される。研 究 者:奈良国立博物館 アソシエイトフェロー  松 井 美 樹筆者は山岳信仰と美術の関わりを研究テーマとしており、とくに奈良時代から一貫して山岳修行の中心地である奈良の金峯山をフィールドに、修験道の組織化が始まる鎌倉時代に注目して研究を進めている。これまでの研究では、金峯山の主尊である蔵王権現について検討してきた。蔵王権現とは、その尊名にあるように仏が姿を変えて修行途上の衆生の前に「権(かり)のすがたで現れた」存在である。金峯山中の如意輪寺が所蔵する厨子入り蔵王権現像(1226年源慶作)を題材に、山中で蔵王権現像にまみえた修行者がその像をどのような祈りの対象としたのか、そして蔵王権現が現れる空間にほかにどのような尊格が伴ったのかについて検討することにより、如意輪寺像が制作された当時、蔵王権現は末法の世の衆生を教化する降魔の尊として釈■如来が姿を変えて現れた尊格と考えられていたことを導き出した。像と山岳修行者の行との関わりを着眼点としたこの研究の中で、平安時代には金峯山に秘蔵される金や藤原道長らが埋納した経巻を守る存在とされていた蔵王権現が、鎌倉時代には仏道修行を助ける降魔の尊として捉え直されていたこと、そして蔵王権現のこの新たな役割を語る『今昔物語集』以降、末世の衆生のために蔵王権現を念じ出した者として役行者が据えられていたことがわかった。この時期、蔵王権現の役割が変化すると同時に、役行者の役割もまた変化していたことが想定される。本研究は、上記の蔵王権現研究における山岳修行者の行との関わりという着眼点を継承するものとして構想した。これらの研究を継続して行うことで、山中での行を主体とする修験道が形成されていく鎌倉時代において、山岳修行者がどのような人物を理想の山岳修行者とし、自らをその後継と位置づけたのか、彼らが修行の場として選― 71 ―

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