■ ■■照■■■■■■■■■美術に関する研究んだ山岳がどのような場として位置づけられていたのかが浮かび上がるであろう。近年の研究によって、山岳修行者の多くは平素は寺院の僧侶として活動していたことが指摘されていることに鑑みても、蔵王権現や役行者の問題は修験道のみでなく、日本仏教全体に関わる重要な問題であると考えられる。ここで役行者を読み解く上でキーワードとした「神仙」に関しては、『国家珍宝帳』では聖武天皇が死後仙人(「仙儀」)となって菩■の修行階梯である十地(「十聖」)を進むとされ、法華経絵では釈■の前身である王が阿私仙に採薪給水の奉仕をして法を教わる場面がくり返し描かれ、華厳五十五所絵では善財童子が教えを請う善知識に仙人が含まれる。このように、古くから修行者のおこないと仙人には深い関わりがあった。本研究は、この歴史を強く意識した上で役行者と山岳修行者の関わりについて考えるもので、日本で古代から受け継がれてきた中国神仙思想の仙人と修行者という、より大きな問題の中に役行者を位置づける点にこれまでの役行者研究にない意義がある。また本研究によって、鎌倉時代の山岳修行者のアイデンティティに関わる役行者の役割を明らかにすることができたなら、この時期山岳修行者が拠点とした山岳寺院で制作された『神於寺縁起絵巻』『長谷寺縁起』などの霊山縁起、あるいは役行者を登場させる『弘法大師行状図』などの縁起がどのような世界観に基づいて制作されたのか研究するための基礎情報になると考えられ、今後の山岳信仰と美術の研究に広まりをもたらすことが期待できる。研 究 者:ロンドン大学 東洋アフリカ研究学院 博士候補生 黄 士 誠本研究の意義は、これまで注目されていなかった1960年代の東松の作例と前衛美術の関連性を改めて指摘する。すなわちナショナリズムの体現である東京オリンピックと大阪万博に対して、1960年代において身体を表現した東松の作品が、前衛美術の精神を持つという側面を明らかにすることである。本研究は、東松の戦後美術展への参加という事実を踏まえて、同時代の芸術運動や観光宣伝などの多岐にわたる活動にも言及し、高度経済成長とともに発生した安保闘争や学生運動を背景に、日本社会に出現した近代的身体表現が、国家権力への■逆で― 72 ―
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