鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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あることを提示したい。本研究は、戦後前衛美術の文脈において、これまで見過ごされてきた東松照明の写真が持つ前衛的な性質を検討する。加えて、東松の作品に映し出され、文化宣伝の一部であったオリンピックと万国博覧会が開催された東京と大阪の政治と社会の様相にも目を向ける。特に都市の変貌やデモ活動を表す写真作例を取り上げ、同時代の芸術運動にも検討しつつ、国家権力を挑発する身体表現を明らかにすることを目的とする。具体的には以下の4点について注目する。論点1:戦後前衛美術東松が参加した前衛美術「ネオ・ダダ」展と「空間から環境へ」展から1960年代の戦後美術における作品と空間についての議論を整理し、インターメディアというジャンルを超えた前衛美術の中に、東松の作品の位置付けることを試みる。論点2と論点3:舞踏と映画の前衛芸術への参加と前衛美術的性格暗黒舞踏の創始者である土方巽が行った「650エクスペリエンスの会」において、東松は寺山修司らとともに「第2回6人のアバンギャルド」(1960)を出品し、また大島渚の映画《飼育》(1961)の制作に関わった。そして東松と細江英公、奈良原一高、川田喜久治、佐藤明、丹野章らの写真家により設立された写真団体「VIVO」は、ネオ・ダダと活動時期が重なることから、両グループは身体表現の関心という点において同調したといえる。以上を踏まえて、東松の前衛芸術との関わりを一つの例として、ネオ・ダダの反体制的な特質が芸術の境界を曖昧にし、1960年代においては環境芸術の延長線上にある大阪万博にて体現されていたという状況を検討する。論点4:東京オリンピックと大阪万博戦後の復興の誇示と観光の促進という目的で発行された東京オリンピックの対外宣伝英語案内書『Here is Japan 64ʼ』には、無機質な都市風景を捉えた東松の写真が掲載された。国家的な文化事業としての東京オリンピックの作例と並び、学生運動、反戦運動、沖縄の本土復帰や70年安保をめぐるさまざまな場面を捉えた彼の一連の写真と、大阪万博の諸作品との関連を明らかにする。論点5:身体の■逆性身体を扱う東松の作例は多くが長崎、東京と沖縄を舞台とする。これらは戦争の記憶、安保闘争、反戦や学生運動によるデモ活動、それにアメリカ文化を題材としている。長崎の被爆の現実と沖縄の伝統的な風習を取材した時期をはさみ、東京と大阪の― 73 ―

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