■ ■■画■■■■■■■研究 ■■■■画■■■■画■■関■■■■都市としての景観が急速に変化する1960年代半ばは東松の写真にとっても転換期となった。具体的には、東松が目を向けたアングラ街には、身体に秘められている体制への反抗、また性の揺らぎが表れる。政治的無力感と自由の高揚感が満ちた1960年代に、身体を取り上げた東松の表現は、国家権力への挑戦を提示していることを明らかにする。以上の点において本研究は、今後の1960年代の写真と美術に関する美術史学や、都市変貌に関する視覚文化及び身体と国家権力をめぐる表象文化の研究、また英語圏における日本現代美術と写真に関する研究に貢献できる。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程、助手本研究は、福建莆田出身の画家趙珣を対象とし、彼の生涯、活動、および画業を明らかにしたうえで、具体的な作品分析によって、明末清初の福建絵画と浙派との関係、黄檗絵画、及び南画における趙珣の位置付けを行うものである。趙珣の画域は幅広く、青緑山水、水墨山水、枯木竹石、花鳥、仏画など様々な作品が現存する。それらはすでに指摘されるように、江戸後期の南画家田能村竹田(1777〜1835)、谷文晁(1763〜1840)らに影響を与え、明治期の画家滝和亭(1830〜1901)、富岡鉄斎(1837〜1924)等にも影響を与え続けた(前掲横尾氏論文、前掲河野氏論文)。したがって趙珣研究は、日本における南画の研究において重要である。その一方、中晩年を主に福州で活躍した趙珣は、仏教に深く帰依し、地元の僧と広く親交を結んだ。そのため、彼の作品は日本に数多くもたらされたわけである。趙珣研究は、明末清初の福建絵画および黄檗絵画の展開においても役割を果たしている。また、前述のとおり、晩明杭州地区の出版界においても趙珣の活動が確認される。周知のように、福建画家は「浙派」の成立と発展に深く関わっている。彼は若いうちに福建福州と浙江杭州の両地に出入りして活躍した。そのため、晩明杭州地区の版画創作においても、さらには福建絵画と浙派との影響関係の研究においても重要なケーススタディとなりうる。以上を踏まえて、彼の作画活動と画風を把握することは、重大な意義があると考えられる。孫 愛 琪― 7 ―
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