■ ■■■■■■■■に関する調査研究先行研究では趙珣に関する伝記の整理、作品紹介、画風変遷等には詳しく及んでいない。本研究は、文献調査と作品調査を行うとともに、画風を分析したうえで、これらの基礎的な問題に着目し、明らかにすることを目的とする。なお、具体的に以下のように示す。①先行研究に踏まえて、江戸初期から明治初期に紹介された趙珣の資料を改めて確認する。先行研究に取り上げられなかった文献を調査して紹介する。趙珣の略伝と作画活動の概要、作品、伝記資料を掲載する。②各館蔵品目録、展覧会図録、及び売立目録等の書類を捜査し、日本に現存する趙珣の作品情報を集めながら、調査を実施する。③以上の研究を踏まえて、個別の作品分析を行い、黄檗絵画や日本南画との関連を考察する。研 究 者:早稲田大学 會津八一記念博物館 助手 行 方 敬太郎筆者はこれまで一貫して四天王像の研究に取り組んできた。日本の四天王像には時代による図像形式の流行がみられることが先行研究によって既に指摘されており、鎌倉時代以降の主流となったのが本調査研究で取り上げる大仏殿様四天王像であった。ただしこれとは異なる図像形式であらわされた四天王像も鎌倉時代以降には少数ではあるが現存しており、そうした作例をどのように解釈するかを問題と位置付けた。筆者は2019年度から翌年度にかけて、まず造立当初の安置堂宇が日本彫刻史上の問題となっている奈良・興福寺中金堂四天王像(旧南円堂所在)について、その図像形式を手がかりに考察を行なった。ここでは再興像がその制作時に流行していた図像形式ではなく失われた原像の図像形式を踏襲するものが多いことを挙げ、鎌倉時代の再興像である中金堂像についてもその図像形式が8世紀前半期の四天王像にみられる特徴を有していることから、その時期に当初像が造像されたものと考え、当初の安置堂宇を北円堂に比定した。2021年度にはその妥当性を検討すべく中金堂像と北円堂弥勒像の関係について検討した。その結果、中金堂像の図像形式が8世紀前半の特徴を有しているだけでなく、現世でない場所に存在する四天王の姿であること、さらに北円堂弥勒像が兜率天にい― 75 ―
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