■ ■■■■■■■■■■画に■■る■■■■表■■■■■■■■■■■■■■■■■に■研 究 者:京都大学 非常勤講師 山 形 美有紀初期ネーデルラント絵画の写実表現が伝統的なドイツ絵画に与えたインパクトは、2010年の展覧会 “Van Eyck to Dürer: The influence of early Netherlandish painting on European art, 1430■1530” において大規模に取り上げられた。その一方、ネーデルラントの画家がドイツの古式な図像を学習し、それらを精緻な新様式に同化させてゆく過程は、いまだ包括的に論じられていない。本研究の第一の目的は、両地域間の様式交流を敢えて逆方向から捉えること、その立役者としてのメムリンク像を再構築することにある。彼は、ドイツ人でありながらもネーデルラントで活動した異色の画歴を有する。しかし従来のメムリンク研究は、ブルッヘに駐在したイタリア人顧客との関係に比重を置く傾向が強い。ドイツ人の注文作としては《受難の三連祭壇画》(1491年、リューベック、聖アンナ美術館)が有名であるが、実のところドイツ由来の図像は、メムリンクの作品全般に頻出する。筆者はその事例研究の対象として、聖母マリアの表象を含む4作品を選定し、博士論文を執筆している。博論の前半では旧約聖書『雅歌』に基づく《ジャン・ド・セリエの二連板》《薔薇園の聖母子の二連板》を考察し、後半では聖ヨハネ施療院の注文作である《聖ヨハネ祭壇画》《聖ウルスラの聖遺物箱》を考察する。すでに研究を完結した《ジャン・ド・セリエの二連板》に関しては、左翼の「聖女に囲まれた聖母子」がドイツからネーデルラントに伝来した図像であること、メムリンクがその図像伝播に寄与したことを論証した。現在進行中の研究課題である《薔薇園の聖母子の二連板》に関しては、シュテファン・ロホナー作品との比較検討を行った。《聖ウルスラの聖遺物箱》の研究も概ね完結しており、画中で強調された船の描写が、ドイツの聖ウルスラ信心会が発行した木版画に基づくことを新たに指摘した。その背景にある当時の神学思想では、船が教会を象徴し、信者を乗せて天国に導くと信じられていた。《聖ヨハネ祭壇画》に関しては、ヨハネの首を拝受するサロメ、聖バルバラに付随する塔と聖餅、黙示録の24人の長老を中心に、ドイツの図像伝統からの影響を検証した。― 82 ―
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