鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■画■■■■■■■研究■■■■■■■■■■■■■に■■る普及に■■■■しかし聖ヨハネ施療院の注文作に関しては、既存の博論の枠組みに収まりきらない考察課題が残されている。本研究の第二の目的は、施療院における絵画の機能、疫病と美術の複雑な関係を解明することにある。ロヒール《ボーヌ祭壇画》やグリューネヴァルト《イーゼンハイム祭壇画》が例証するとおり、一般に中世の施療院に飾られる絵画は、「磔刑」「最後の審判」等の主題、ペストや麦角病に関係する特定の聖人を表すことが多い。他方でブルッヘの聖ヨハネ施療院に奉納された《聖ヨハネ祭壇画》《聖ウルスラの聖遺物箱》の主題は、一見すると死や病と無関係に思われるが、その主題選択の動機は先行研究で十全に説明されていない。ところが近年、施療院の遺構から、聖遺物箱の寄進者の墓石を含む、多量の墓石や石棺が出土した。院内の中庭や礼拝堂には、大勢の患者とその看護に従事した修道士・修道女が埋葬されていた。特に、林檎を持つ聖母子像が描かれた石棺は、祭壇画と聖遺物箱に描かれた聖母子像の参照源だと考えられる。筆者は以上の考古学知見に鑑み、両作品を死者追悼の観点から再解釈すべきだと判断する。本研究の独創性・新奇性は、先行研究で聖■式との関連が示唆されてきた《聖ヨハネ祭壇画》に、祭壇画的要素と墓碑画的要素の双方を読み取ろうとする点にある。これにより、疫病と美術をめぐる諸問題に通底する、新たな研究モデルを提示することが期待される。研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 学術インストラクタージンクホワイトの場合と違ってチタニウムホワイトは、その導入について、油絵の分野では語られることが少なく、気がつけば普及が進んでいたという印象がある。特に、筆者が所属している東京藝術大学の大学美術館の所蔵作品は明治、大正、昭和戦前のものが多く、研究も東京美術学校時代の作家や作品を対象として行ってきた。油絵の歴史の始まりから唯一の白であり、油絵具の白として優れた顔料である鉛白と、鉛白の毒性から無害な油性塗料の白が求められ、鉛白の代替物として19世紀中期にジンクホワイトが開発された。すでにその両方が存在する時期に日本の油絵は本格的に始動したのである。西洋絵画技法を調査研究するときには、油絵の場合、色を作 間 美智子― 83 ―

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