廷の人的ネットワークと思想的交流の実態を明らかにすることを目指す。本調査研究の意義として想定されるのは、主に以下の二点である。一点目は、康慶・運慶・快慶の事績を繋がりをもって包括的に検討することにより、慶派仏師を取り巻く朝廷関係の人々の交流の様相が明らかになることである。それぞれが日本彫刻史上に偉大な足跡をのこす仏師であるがために、慶派仏師をめぐる研究は、作家研究や個別の作品研究に終始する傾向にある。ただし、それぞれが独立した工房を構えていたとはいえ、子弟関係を有する同じ一派であることに変わりなく、彼らの事績は関連性を有していたと見るのが自然であろう。例えば、運慶の父と思しき康慶は、後白河院御願の蓮華王院後戸安置の不動明王像を造像するなど後白河院関係の事績が認められるだけでなく、建久 2 年に鎌倉幕府別当大江広元と後白河院側近藤原範綱の間で頻繁に交わされた書簡の中に康慶の鎌倉下向に関する記述(『和歌真字序集』紙背文書)が知られるなど、後白河周辺に極めて近い位置にいたことが想像される。運慶の初期作で「大仏師康慶実弟子運慶」の銘のある円成寺大日如来像に想定される後白河院の関与や、康慶・運慶・快慶らの東大寺大仏殿巨像群造像への抜□は、康慶と院の関係に依拠するところが大きいと思われ、その後展開される弟子筋の朝廷関係の造像についても康慶を出発点として今一度検討する必要があろう。加えて、同時代的な繋がりを解明するために検討すべきは、朝廷と深い関わりを有しながら慶派仏師の造仏に関与した僧侶同士の物理的かつ思想的交流である。すでに勝賢や重源など、朝廷をめぐる慶派の造像において密接な関係性を有していたことが明らかな僧侶も多いため、彼らが各事績において、どのような思想のもと、どのような関係性を構築していたのか検討することは、朝廷をめぐる慶派の造仏の様相を、同時代的な繋がりの中で包括的に捉えることを可能にすると考える。これらの作業を通して、慶派仏師と朝廷の関わりを具体的に明らかにすることは、鎌倉幕府との関係から論じられがちな慶派の新たな側面を照射することに繋がり、鎌倉時代彫刻史研究における意義は大きいと言えよう。二点目は、朝廷と慶派仏師の関係の様相が具体的に明らかになることにより、朝廷という観点から鎌倉時代彫刻大成の背景を考える素地が整えられることである。そもそも、慶派仏師の特異性は、東大寺や東寺の再興造仏に明らかなように、朝廷の管轄下、幕府が出資した造仏を担うという、いわば二面性にあると申請者は考えている。言い換えれば、朝廷と幕府の双方に認められ得る造形が鎌倉時代彫刻であり、朝廷と― 106 ―
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