鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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それでは,具体的な作品に即してこの点を検証してみたい。『禅鳳雑談」や『宗春翁茶湯聞書』等の記述から,数奇の美学は,「佗び」と共に「巧み」と「作意」に集約することができる。そして他の領域に自在に応用することができるのは後二者である。「巧み」も「作意」も,日常性を切った虚構を趣向することと定義される。そして宗達の造形の根幹と言えるのがこの「虚構の趣向」である。「源氏物語澪標図」(静嘉堂美術館)に登場する人物や牛の形象は,山根有三氏の研究によれば,所謂「源氏絵」以外の先縦作品から転用されたものである。更に,伝世している宗達派の厨面画から推して,この作品に描かれている形象の多くは,当時の観者に馴染みのものであったと考えられる。それゆえ,出典のコンテキストという日常性を切って,「源氏物語」という新たな「場所」に諸形象を動員した宗達の虚構の趣向は十全に機能していたと言うことができる。「澪標図」で更に特筆されるのは,多様な出自の形象が,少しの違和感もなく物語を演じ切っていることである。これは,“地に足が着いていない’'感の否めない重要文化財の「関屋図」(個人蔵)と対照的であり,宗達は異質なものを円融させる本源的な「力」の働きを意識していたことを窺わせる。こうした力の働きは,「舞楽図」(醍醐寺三宝院),「横檜図」(石川県立美術館)においても顕著に現われている。「舞楽図」は五種の舞を二曲一双の画面に配したものである。様々な舞を集大成したり,番舞,答舞の関係にある幾つかの舞を取出して描いたりする舞楽図は数多く伝世しており,宗達の作品も後者の範疇にはいるものである。しかし,宗達の「舞楽図」が卓越しているのは,五種の舞が一つの番舞であるかのような,絶妙な共時性の表出であり,このような虚構の舞を具現することが,宗達の趣向であったと考えられる。そして,その趣向が見事に成功しているのは,宗達が,諸形象を円融させる力を理想的な方法で活用したからに他ならない。この力を,よりミクロな次元で活用したのが「横檜図」である。金の砂子地に,墨と藍の描片により槙の形象を構成してゆく工芸的な手法は,写実的意識(形似)からは最も遠いものである。(実際描かれている樹木の幹や枝葉の関係は甚だ曖昧で,時に槙の枝に檜の葉が続いたりする。)ここでも宗達の虚構の趣向は明白であるがそれによって,若木の繁茂と,それらを-3-

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