収録しており貴重な資料となろう。こうした浄写本に属するものは国立国会図書館本,西尾市立図書館岩瀬文庫本,早稲田大学本,刈谷市立図書館村上文庫本,京都府立総合資料館本と多い。国立国会図書館本には佐々木惣四郎(竹芭楼)が貞幹の無嗣を哀れみ,模本を作り売却してその供養費にあてたものであることを伝える天保8年(1837)の墨書が記されており,貞幹没後に希望者に頒布するため新写される場合があったことか判明した。本書流布に関わる書写状況を示すものとして注目される。但しこれら浄写本の中に貞幹自身の手になると思われるものはなく,貞幹の著作として浄写本を基準に置くことは首肯し難い。そして相互の転写関係を書写の異同から判断することはできなかった。大東急記念文庫に所蔵される『集古図稿本』は,寛政8年(1796)に書かれた本書出版届の草本とされる。これは本編を欠く内容見本のような体裁であり,20巻に改編されている。そのため,かって『集古図』は20巻と誤認された場合もあったようだが,内容を伴った20巻本の実例は見られない。それに本書は流布本と呼ばれる25巻本に本義かあるから,これは貞幹自身の手になるものとはいえ,略本試案の一つと考えるべきである。川崎千虎氏がかって報告した30巻本の例としては東京都立中央図書館加賀文庫本が挙げられる。これは25巻本の巻15食器部と巻19補闘桂餅部巻がなく,巻29に附録三として楽器巻が加わっていることが大きな違いである。30巻本成立の事情については定かではないが,加賀文庫本に寛政9年の年紀を持つ資料を収録していること,『好古小録』『瑞祥齋帖』に収録されていることを以て記述を省略したものがあることから,貞幹の死後山田以文のような周辺の何者かが再編集したものではないかと推測される。この他,安政6年(1859)の年紀を持つ25巻本と30巻本を折衷させたものを見ることもあって本書の書写には江戸末期にしてすでに想像以上の混乱が生じていたらしい。しかしここで興味深いのは,貞幹は歴史資料の集成をこの時初めて試みたのではないことである。『集古図』に先んじて,貞幹が自分の収集した資料を公開すべく集成したものが『七種図考』及び『六種図考』であった。両書について初めて考察を加えた清野謙次氏は,この両著作を『集古図」の原型と位置付けている。その理由は,清野氏所蔵の『六種図考』(巻ー玉器,巻二磁器,巻三古鏡,巻四古鈴,巻五飲瞑,巻六古升)が『集古図』の一部と著しく類似していることによるものである。ところが現在研窟認できる『六種図考』は巻一輿地,巻二都城宮城内裏八省院豊楽院中和院太政官,-93-
元のページ ../index.html#100