都合三十年以上もの年月にわたって新刊が続いたロングセラーである。とくにその初編から十編までの十冊は五年ほどの短期間に集中して上梓され,十編末尾の図中には完結を示す「大尾」の語が付されることから,当初は北斎も十冊で一応の締めくくりと考えたことが知られている。そもそも本書は,作者北斎が文化九年(1812)名古屋に滞在した折に,同地で描き溜めた版下絵をもとに出版されたといういきさつか初編序文などに語られており,実際に本書が名古屋の書隷永楽屋東四郎と江戸の大手版元角丸屋甚助方から共同で出版されている事実や,初編の巻末に校合門人として在名古屋の弟子が記されるところからみて,通説とされる出版にまつわる経緯には,ほぼ間違いがないものと考えられている。さてこの初編は,もとは『北斎漫画』というシリーズの第一編としてではなく,一冊で完結の絵本として刊行されたことが知られているが,「北斎漫画全」と銘打たれ一冊本の形式でつくられた同書の構成を考えたとき,作者北斎はその制作にあたって,先行する浮世絵師たちの発表した多様な版刻絵手本を念頭に置く以前に,まず第一に中国清朝初期の画譜『芥子園画伝』を模範としたことが,明瞭であるように思われる。文人画家の絵手本である『芥子園画伝」は寛延元年(1748)には和刻本も出,これと『北斎漫画』の相関関係については従来若干の指摘もあったが(注2)'いま少し詳しく掘り下げて両者を比較検討してみると,<資料1>のように,とくにこの初編や初期の数編は文人画の指南書『芥子園画伝』の構成を真似ていること,それも手際よく簡潔にまとめ上げたような内容になっていることがわかる。つまり,両書が非常に似通った章立てから成っていることがあらためて追認されるのである。さらにまた,各モティーフ毎に小単位としてページ立てをする造本の体裁のみならず,『北斎漫画』に描かれている樹木や家,岩石などのモティーフそのものも,そっくりそのまま抜き取られて描かれたものは少ないにせよ,その多くが『芥子園画伝』を参考にしたものといってよく,これらは『北斎漫画』が『芥子園画伝』を下敷きにした事実を強く裏付けてくれるものと思われる。このように,本職の画工や素人向けに中国の難解な画法書を噛み砕き,親しみやすい図案帳のようにさまぎまなモティーフを整理した『北斎漫画』初編のようすは,浮世絵師のつくった簡便かつ卑俗な絵手本という意味合いからみても,非常に興味深いものがある。また他方で,北斎が自作のための範を,いわば画譜のバイブルともいうべき中国の『芥子園画伝』に求めていることは,しばしば言われるように北斎の旺盛な研究欲・知識欲の一端を示す結果ともなっているであろ-97 -
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