鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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たてて難を言うほどの色濃い影響関係があるとは思われなかった。だが,次項に紹介する政美の版刻絵本『諸職画鑑』は,北斎がことに『漫画』初編の作画にあたって,『略画式』以上に直接的に参考にしたことがうかがえる種本の例として,新たに登録できる重要な作例と考える。(3) 『諸職画鑑』について寛政六年(1794)刊の『諸職画鑑』は,『略画式』をはじめとするいわゆる政美の略筆画の画譜シリーズとは異なり,書名の通り絵手本,あるいは図案集としての機能を優先させた画譜の作例である。この『諸職画鑑』と『北斎漫画』初編の両書を比較した結果が<資料4>であるが,これをみてもわかるように,北斎は政美のこの画譜からかなりの想を得て,初編の作画をおこなった模様である。北斎が参照したのは当世風俗で描かれる市井の人物描写をはじめ,たとえば初編で記念すべき巻頭を飾っていた吉祥の画題「高砂」の一図のアイデアなども得たようで,作画にあたって北斎がこの『諸職画鑑』を座右に置いていたことをうかがわせる。さらにまた参考としたとおぼしき図は初編のみならず,翌年文化十二年(1815)刊の二編などにも及んでおり,道釈人物や面尽くしなどの図様が双方で符合しているとの結果が得られた。種本としての本書の認定が,これらによって確実性を増したものといえよう。もちろんこの『諸職画鑑』のほかにも,北斎の参照した未知の種本は複数存在したことが予想されるが,本書に関しては従来紹介されていた『略画式』などの諸本よりも種本としての依存度が高いと思われ,新たにその書名を記憶するべきであろう。(4) 北斎のオリジナリティー『北斎漫画』は,総体としては画狂人北斎のカオス的な世界を知る手がかりであり,それらによって確かに造形の奇オの,語彙の豊かさをみせつけている。しかしながら百科,若しくは北斎の言葉を借りれば「森羅万象」を網羅する彼の豊富なイディオムはすべて独創から生みだされたわけでは決してなく,先行する画人たちの画譜やときには本画を参照し,手本としたことは論をまたない。実際,北斎作品の場合にもさまざまな図柄借用の実例が報告されているが,しかしながら北斎の手懸けた作例と作画の基とされたそれら絵手本との比較をおこなってみると,結果的には北斎が彼自身の-99 -

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