注抜きん出た技量をもとに,どのように原図を自己流の文法で置き換え,変質させたのかが,かえってひときわ明瞭にわかってくるものといえよう。先に紹介した政美と北斎の関係を説く研究者たちの報告でもそうであったが,北斎の場合,他の絵師の作品などから図様が借用されるケースが指摘されても,それをそっくりそのまま図取りしたという例はむしろ少ないようである。種本からさまざまなモティーフの形態が参考とされるにしても,たとえばかつて京の絵師俵屋宗達が古典絵巻から図様をほぼ引き写して自らの作品に用いたり,あるいは錦絵の創始者鈴木春信が上方絵師西川祐信の版本から人物を抜き出して使うといったような場合とは異なり,北斎の場合は自分の目で見てとった図様や構図をそのまま使わず,一旦自らの頭の中で再構成してから描き出すことが多い,というのがどうやら真実に近いらしい。つまり,ちょうどいまのコンピューターグラフィックスのように,種本のなかから三次元的に把握された対象は,北斎ならではのすぐれた造形感覚によって作り替えられ,再び描き出されたときにはすでに彼独自の造形言語に変換されてしまっているのである。彼の目と頭脳,あるいは感覚というフィルターで濾過され,その絵筆から生み出された図柄は,こうして描かれたときからすでにまぎれもない彼自身のオリジナルなものに変わっているため,これに箪法上のアレンジが加えられたときなどは,参考とされた原図の有無などはとんど問題にならないといってもよいほどである。偉大な北斎の造形の魔術的魅力は,そこにこそ神髄がある。最後に繰り返すが,『北斎漫画』初編は,玄人である本絵師必携の絵手本『芥子園画伝』の構成を借りて,さらに『諸職画鑑』や『略画式』,あるいはそれ以外の種本をもとに北斎がつくりあげた卑俗な絵遊びの指南書であった。『北斎漫画』はこののち編を継ぐに従い,北斎が折々の思いにまかせて描きとめた,まさにとりとめのないデッサンのおもちゃ箱の様相を呈していくが,一見無秩序で奔放であるかにみえるそれら作品の,絵手本としての性格の原点を,この初編にもとめることができるだろう。(1) それら各編の初版本については,浦上満氏の蔵書をもとに永田生慈氏が整理作業をおこない,その成果も複製本という形で昭和六十一年岩崎美術社より発表された。(2)鈴木菫三・浦上満「北斎漫画を解剖する」(『北斎漫画と春画』新潮社平成元年)-100-
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