鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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(4) たびたび引用される記事だが,斎藤月本著の「武江年表」(嘉永ニ・三年/1849• 50)で,寛政年間記事に加えられている喜多村信節の補注に,以下のような記述がみ(5) 狩野博幸「浮世絵の模倣と類型」『日本美術工芸』425• 6号日本美術工芸社(3) 『北斎漫画』初編には副題として「伝神開手」の言葉が付されるが,中国の画論を連想させるこうした語句がわざわぎ添えられていることも,本書が中国の画法書のもじりであることを濃厚に匂わせている。られる。「北斎は画風癖あれども,其の徒のつわものなり。政美薙髪して,狩野の姓を受けて紹真と名乗る。これ彼等が窯蜆を出て一風をなす,上手とすべし。語りて云ふ。北斎はとかく人の真似をなす,何でも已が始めたることなしといへり。是れは「略画式」を恵斎が著はして後,北斎漫画をかき,又紹真が江戸一覧の図を工夫せしかば,東海道一覧の図を錦絵にしたりしなどいへるなる。」昭和四十九年内田欽三「鍬形意斎研究一御抱絵師時代の活動をめぐって(上・下)」『国華」1158・9号国華杜平成四年-101-

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