鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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(2) 存在が確認されるミレーの模写作品についてァンは3つの典拠資料からその作家作品を列挙している(註1)。それによると,ミレーが模写した作品を特定する根拠資料は次の3つであり,筆者はそれらを基にして,トマ・アンリ美術館の協力を得て,原作品の確認調査を行なった。(i) 当時の美術館の看視員ギュスターヴ・アミョ(Gustave Amyot)がミレーの模写に関して記録した資料(シェルブール市立古文書館蔵)。この記録から判明するミレーの模写作品は表1のとおりである。(ii) アルフレッド・アンスイエのメモ。この資料から判明する作品は表2に掲げる(表1と重複するものは省いた。)(註2)。紺上記2つの資料に言及されていないが,トマ・アンリ美術館に実際に所蔵される模写の原作品。これは表3に列挙した。これらから,トマ・アンリ美術館所蔵作品のうち,ミレーが模写したと伝えられる作品は36点,そのうち現存するのは,34点である。今回筆者が実見調査できたのは,24点である。確認できなかったのは,修復中などの理由によるもので,表中に「未確認」と記した作品である。トマ・アンリ美術館所蔵品に関するミレーの模写作品は今日5点確認されている(表4参照)。そのうち,3点が同館に所蔵されており,今回の調査でいずれも確認できた。(i) 3点の模写デッサンラファエロの「聖家族図」及びムリリョの「カルヴァリオの丘のキリスト」の2点の模写デッサンは,ミレーがパリに内地留学をする際に役立ったものである。すなわち,1836年8月にラングロワは,シェルブール市議会に,ミレーがパリで絵の勉強を積めるよう,奨学資金を議決するよう書簡で請願したが,ミレーの画家としての能力を示すために,ラングロワはラファエロの「聖家族図」を市議会へ,そしてムリリョ作品を個人の肩書きでシェルブール市長へそれぞれミレーの模写を提出したのである。その甲斐あってか,市から奨学金を得て,1837年1月にミレーはパリヘ上京することができたのである。従って,これら2点は1836年と制作年を特定されている。しかし,ラファエロの「聖家族図」は,ルーヴル美術館所蔵作品であるため,ミレーが模写したのは,その模写作品あるいは複製版画ということになるが,美術館にはその種の作品が所蔵されておらず,また過去に所蔵されていたという記録もないので,ミレーが何から模写したか-113-

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