2作品は共に,いわばオーソドックスな模写であり,原作を忠実に再現することをは不明である。最も可能性があるのは,師のラングロワがもたらしたという推測であるが,今後の調査に待たれる。通じて,巨匠の画面構成や明暗表現など,様々な要素を吸収しようという意図の下に制作されたことがうかがわれる。そしてそれらの模写から,ミレーの的確な対象把握,熟達した素描力をもうかがい知ることができる。また,両作はデッサンであるが,当時ミレーはまだ油彩画をほとんど描いておらず,もっぱら木炭やクレヨンによるデッサンに専念していたと見なされている。もう1点のデッサン,ヒュリスの「ユディット」の模写が認められているが,これも同時期制作され,同様の性格を持つ模写といえよう。(ii) 2点の油彩模写作品さて,表1でもわかる通り,パリに出てからも,ミレーはトマ・アンリ美術館の所蔵品の模写を何度も試みている。ところで,ミレーは1837年パリに出て,ポール・ドラロッシュのアトリエに入門し,1839年4月頃そこを去るまでの間に,油彩画技法を習得したようである。翌1840年のサロンに肖像画が初入選していることがそれを裏づける。まがりなりにもサロンに入選した一人前の画家の資格を得たミレーは,その年シェルブールに戻り,1841年11月に再びパリに出るまでの1年ほどを同地で過ごしている。シュブレイラスの「正義の女神」の模写は1915年にオノ家が寄贈したコレクションのうちの1点であり,その期間に制作されたものとされている(註3)。この模写と原画を比較すると,原作品の人物の容貌や背景などが変更され,相似性よりもむしろ相違性の方が顕著に認められる。ミレーはここでは何らかの意図のもとに,原作品を下敷にしつつも,独自の画像を生み出そうと試みていると考えられるのである。そのような傾向は次の作品において明確である。ニコラ=アントワーヌ・トーネイ「アルカディアの羊飼い」の部分を再構成して,制作された「ダフニスとクロエ」である。この作品は1839年から翌年の制作と推定されているが,この両者の関係は原作品と模写という関係とは言い難く,原作とそれからインスピレーションを受けて制作された独立した作品という関係と見なせる。具体的には,十人以上の人物から男女1人づつを取り出して画面上で再構成し,ミレーは原作とは異なる別の新しい作品を創造している。主題についても,「アルカディアの牧人」から「ダフニスとクロエ」へと,-114-
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