1.異質なるものの円融という形で,個物を結ぶ縁起を媒介とした仏性現成を根本的イデーとしたもの:「舞楽図」,「横檜図」,「源氏物語関屋澪標図」。2.元来宗教的なモティーフを,その直裁性を否定する形で翻案したもの:須弥山へのイメージを投影する伊勢海図としての所謂「松島図」(フリーア美術館),『摩詞止観』の一節の“大地は冥に樹木を益し,樹木の萌芽ことごとく成就することを得るがごとし”を,真如の姿であるとされる槙檜の若木の繁茂の形で具現した「横檜図」。そして,これらの作品の頂点に立つのが,所謂「風神雷神図」(建仁寺)である。この作品が,構図や彩色,選ばれた形象や,その描写上の特異点から「毘慮遮那三尊像」と解釈されること。そして,臨済宗妙光寺に寄進されたという伝来や,菩薩や如来の形象をすべてメタファーで現わした上に,中尊にあたる中央の金地の空間を真中から切断することになる二曲一双の画面形式を採用していることからして,所謂「風神雷神図」は,臨済の説く「真仏無形」を根本的なイデーとして,宗達が,自身の悟境を表白した「投機画」と位置付けられることは,筆者が,平成元年度の美術史学会全国大会で発表したとおりである。「真仏無形」は,仏画の存在意義を否定する思想であるが,この思想に「形象による形象の否定」という構造を持った仏画をもって挑んだところに,宗達の画家としての衿持が認められる。更に,このような,禅思想への逆説的対応は,禅思想の完璧なる体現であり所謂「風神雷神図」が,墨蹟によらぬ投機偶と位置付けられる所以である。西田幾多郎は,東洋文化の特質を“形により形なきものを表す”と捉えた。宗達の仏性現成をイデーとした作品もさることながら,所謂「風神雷神図」は,その特質を理想的な形で具現したものである。そして,宗達に即して西田の論考を敷術すれば,先に知の特質に関して述べたと同様に,無に囚われることなく,即自的に無を現わしている点に,東洋から峻別された日本的特質が見出されるのである。それゆえ,宗達の造形思想は,東洋思想を模倣したのではなく,日本固有の知の構造において「完成」したものと位置付けることができる。そして,このような偉大な思想が誕生した背景には,後水尾院がリードした寛永時代の京都の文化が,反封建主義という立場から,「日本的なるもの」の本質を熱心に考究していたという状況があったことも忘れてはならない。今回の助成により,種々の新たな知見を得ると共に,多くの解決すべき問題を見出すことができましたことを深謝申し上げます。-6-
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