鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
132/279

違点もあるが,行列全体の構成は実によく似ており,偶然とは思えない。ペレウスとテティスの結婚を主題とした3つの表現タイプのうち「神々の行列」を表わしたタイプが3点のみで,時代的に紀元前6世紀前半に集中しているのも偶然の符合というよりは,何かその背後に理由があるように思える。ソフィロスの表現とクレイティアスの表現の類似に関しては,ごく普通に考えるなら,クレイティアスが先輩ソフィロスの作品を手本とした,その際いくつかのクレイティアス独自の表現を加味し,そのために両者の間に微妙な相違が生じた,という推測ができよう。だがソフィロスの作風はクレイティアスに比べると凡庸なため,この表現を彼自らの創案に帰すことに研究者は否定的である。むしろ陶器画以外の領域に手本を見出そうとする傾向が強く,神々の行列を歌いこんだペレウスとテティスの結婚を扱った詩が当時流行し,それが霊感源になったと考える説,壁画のような大規模な絵画が手本となったと考える説,行列をメイン・イヴェントとする祭礼が霊感源になったと考える説が出されている。いずれの説も推測の域を出るものではないが,新たな叙事詩の復活をみた当時のアテネの文学状況,田園の神が都市の神へ昇格し,祭礼もまたアテネ市民の統合意識を植えつけるためにますます豪華なものになっていった当時の宗教的状況を思い合わせると,それらがこの「神々の行列」の表現にとって霊感源として作用した可能性は充分考えられる。しかしこれらの霊感源はソフィロスの表現とクレイティアスの表現の類似を説明してはくれない。両者の表現は行列の目的地たる新婚の夫婦の住居を起点としてその前で客を迎えるペレウス,目的地をめざしてやって来る徒歩の神々と馬車に乗った神々という構成をとり,造形上の手本を想定せざるを得ないほどよく似ている。そこで大絵画の手本があったのではないかという推定がなされるわけだが,この説はいささか短絡的ではないかと筆者は考える。従来,大絵画の影響がアッティカ陶器画に顕著に現われてくるのは古文献に名高い大画家たちの活躍する紀元前5世紀からというのがアッティカ陶器画史研究における通説であり,しかも初期の大絵画については古文献の言及も少なく,ほとんど知られていない。そして現存する僅かの遺例から判断して,アルカイック時代には陶器画も大絵画も規模や技法の相違以外には様式的にほとんど異なるところがなく,陶画家が大絵画を手がけることもあったと考えられている。さらに,紀元前6世紀前半にアッティカの陶工たちは陶器の海外輸出の飛躍的増大,ソロンの改革,ペイシストラトスの台頭によって社会的地位も向上し,アクロポリスに大理石彫刻など立派な奉納品を捧げ-125-

元のページ  ../index.html#132

このブックを見る