鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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に右側にはラクダを曳く女性像が描出されている(写真2)。パルミラはラクダ隊による弓射兵が勇猛果敢であったことで名高く,ローマ軍の一員として遠くブリテン島にまで遠征した記録が残されており,また,ラクダそのものが旅を司る神として崇拝されていた。しかし,いままでのパルミラ彫刻には女性がラクダを曳く図像は発見されておらず,この女性が特別なものであることが伺える。さらに,饗宴図の中心となる男性の服装を精査すると,いわゆるイラン式の長めの上着とズボン形式の服装をしているが,その腰の部分のベルト飾りは,南ロシア,黒海沿岸のサルマタイ系の墓から出土する帯飾りに共通する楕円形のものである(写真3)。パルミラの墓からはこれまで副葬品として貴金属の装身具や高価な武具などが出土した例はない。これは盗掘などによって墓が荒らされたために後世に伝わらなかったのではなく,初めからそのようなものは副葬しなかったからである。そのかわりに,故人をあらわす墓の彫像に生前の姿を写したと思われる服装を描出しているのである。したがって,その彫像表現について,周辺諸地域の彫刻はもとより,残された様々な実物の装身具や武具についても比較検討するとパルミラに影響を与え,パルミラが影響を与えた多くの文化との関わりが明らかになってくるのである。一例を挙げると,この男性が身に付けている短剣は,トルコのアルサメイヤ遺跡のコンマゲーネ王国のミトラダテス・カッリニコス王の彫像にも描出され(写真4)'実物はやはり,南ロシアから出土している(写真5)。一方,別の墓室内彫刻に描出されている女性像の装身具についても,興味深いものかあった。パルミラの第3様式とインゴルトによって分類された2世紀末ころから3世紀にかけての装身具を大量に身に付けた彫像にみられるものであるが,向き合う動的をあらわした首飾りである(写真6)。これはガンダーラの仏教彫刻の菩薩像にもしばしばみられるものであり(写真7)'パルミラ彫刻とガンダーラ彫刻の共通の文化的背景を示唆しているばかりでなく,ガンダーラ彫刻における西方の影響と,その成立に関する重要な意味をもっているのではないかということが考察される。さらに,このようなモチーフを用いた装身具は紀元前6-5世紀のギリシア(写真8),イランのアケメネス朝(写真9)にもみられ,遡るとアッシリアの宮殿の浮彫にその描出をみることができる(写真10)。この最も古い遺例は紀元前1000年頃のイラン西北部から出土する腕輪であるといえる(写真11)。-129-

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