また,パルミラの彫刻にあらわされた装身具は先程からしばしば挙げているように,南ロシアのサルマタイ系の墓から出土する実物と合致する点が多く,紀元前後頃より2-3世紀にいたる広範な文化について総合的な見地からの研究を今後の課題としなくてはならないことを痛感した。パルミラ美術は,いまだにその実態の多くが不明であるパルティア美術とヘレニズムの東漸による折衷であるといわれるが,それがいかなる経過によるものであるのか,今後,様々に検討されなくてはならない。今回のパルミラでの調査はそれらの課題に対して,多くの示唆を得られたという点で,実に有意義なものであった。さらに,パルミラの東南の地下墓の調査をおこなっている,なら・シルクロード博記念国際交流財団の調査隊の発掘現場を実地に見学することができた。そして,1993年秋に刊行される調査報告書のうち,出土彫刻に関する項目についての執筆依頼を受けたことも今後の筆者自身の研究に大きな励みとなるものである。これらの機会を与えて下さった鹿島美術財団に改めて心よりお礼申し上げ,一層精進を重ねたいと思う所存である。写真11青銅製腕輪紀元前1000年頃イラン-132-
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