鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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アブストラクト•アートアプストラクト•アートアブストラクト•アートアブストラクト•アートピュリスム⑪ 日本の抽象美術ー1930年代の動向を中心に研究者:名古屋市美術館学芸貝1.はじめに今回の調査・研究では,関東大震災を契機として,日本の美術ジャーナリズムが確立した1924(大正13)年頃から,太平洋戦争に突入する直前に日本帝国主義の思想・文化統制の一貫である美術雑誌統制が行われた1941(昭和16)年頃まで,すなわち1920年代後半から1930年代にかけての美術雑誌(『みづゑ』『アトリヱ』『美の國』『美術新論』など)を中心として,雑誌総合雑誌などを通して,2. 日本の抽象美術の系譜日本の抽象美術は,超現実主義と交錯・融合したかたちで,1930年代に誕生・展開している。その系譜を大別すると,次のような三つの潮流に分類することができる。まず第一に,二科会の「新傾向絵画」の系譜である。1929(昭和4)年の第16回ニ科展に出品された古賀春江,言われたが,実際には純粋なシュルレアリスム絵画ではなく,純粋主義(あるいは機械主義)の抽象的な表現要素を併存したものであった。このような古賀らの画風の影響の下に,「アヴァンガルド洋画研究所」や津田青楓洋画塾を継承した「純粋絵画研究所」に学んだ画学生のなかから,抽象美術を志向する若手画家が登場した。1935(昭和10)年から「黒色洋画展」を開催した小野里利信,山本直武らに,斎藤義重,山本敬輔,広幡憲らが加わって,次第に抽象美術の探究を進めていったのである。そして1938(昭和13)年2月には,「黒色洋画展」が発展的に解消されて,純粋に抽象美術を標榜したグループ「絶対象派協会」が結成され,の抽象美術運動の中心的な存在となる「九室会」が結成されたのである。第二の系譜としては,1934(昭和9)年から新帰朝の若手画家である長谷川三郎,村井正誠,山口薫や瑛九らによって開催されていた「新時代洋画展」を母体として,「黒色洋画展」を解消した小野里利信らを加えて,1937(昭和12)年に結成された「自由美術家協会」がある。「自由美術家協会」は,日本で最初に誕生した本格的な抽象美いた吉原治良,山口長男らと合流して,シュルレアリスムその他に美術関係の著作・翻訳書,日本の抽象美術について考察した。阿部金剛らの作品群は,山田諭日本で最初の超現実主義絵画とさらに9月には,すでに抽象美術に転向して二科会内部の前衛画家グループとして,日本-133-グループ機関誌,文芸メカニズム

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