鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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「NGB洋画展」があった。メカニズムコンセプチュアル•アートアブストラクト•アートアブストラクト•アートアブストラクシオン•クレアシオンピュリスムアプストラクシオン•クレアシオンピュリスムた3.抽象美術の紹介と受容國5-10),川路柳虹「オルフィズムとピュリスム」(アトリヱ7-6)などがある。また1932(昭和7)年から翌年にかけて開催された「巴里東京新興美術展」は,フランス前衛美術術グループである。この系列に村井正誠の指導下にあった若手画家のグループとして最後に,第三の系譜(というよりも存在)として,超現実主義絵画のなかに現われた抽象的な傾向がある。純粋主義や構成主義に関心のあった独立美術協会の三岸好太郎,1934(昭和9)年に結成された「新造型美術協会」の「抽象派」である下郷羊雄,今井滋の名を挙げることかできる。特に津田洋画塾に学んだ下郷は,1930(昭和5)年頃にすでに純粋主義に傾倒していて,貝であった唯一の日本人画家岡本太郎との親交もあって,超現実主義と抽象美術の融合を探究している。このほかに「創紀美術協会」の阿部芳文や「美術文化協会」の北脇昇,小牧源太郎が,「概念芸術」の先駆とも言える図式絵画を創造している。このような日本の抽象美術の誕生・展開に決定的な影響を与えたと思われる海外の抽象美術の動向と理論が,とにする。日本への紹介順に列挙すると,純粋主義→「抽象=創造」→H.リード『芸術と産業』(HerbertRead "Art and Industry", 1929) →A.H.バーJr.『キュビズムと抽象美術』(AlfredH. Barr Jr. "Cubism and Abstract Art", いうことになる。まず最初に,抽象美術への前段階として影響力のあった純粋主義(あるいは機械主義)に関しては,阿部金剛『シュールレアリズム絵画論』(1930年/天人社)と新興芸術編『機械芸術論』(1930年/天人社)がある。いずれもアメデ・オザンファンとジャンヌレ(建築家ル・コルビュジェの別称)によって提唱された純粋主義の理論を基礎にして,建築・機械における機能的・幾何学的な造型性の美術への導入と新しい造型言語の創造を主張している。このほかに関連論稿としては,村山知義「最近の芸術に於ける機械美」(アトリエ6-5),外山卯三郎「純粋絵画論」(美術新論4-8),荒城季夫「新しき世紀の美術ー機械美と芸術」(みづゑ295),矢野文夫「ピュリスムの美学」(美のの全貌を日本で最初に紹介した画期的な展覧会であったが,そのなかに「純正派(ピ独創的な抽象美術を開拓した。なかでも北脇は抽象美術を超えどのようなかたちで紹介され受容されたかを見ていくここの頃には「抽象=創造」グループの会1936) と-134-

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