ュリスム)及新造型派(ネオ・プラスチック)」として,オザンファンの絵画作品などが含まれていた。このように純粋主義,機械主義は1930年代初期において頻繁に紹介・論議されて,日本のモダニズム文化(建築,工芸,美術,写真など)に極めて大きな影響を与えている。日本の抽象美術を考察する場合に,その前提として,純粋主義,機械主義の検討が不可欠である。次に1932年にパリで結成された国際的な抽象美術グループ「抽象=創造」に関しては,1935(昭和10)年頃までには,機関誌『abstractioncreation art non figuratifj が日本にも輸入されて,美術雑誌(美術10-7/11-10)に「アブストラクト画派」として作品図版が転載されている。また理論的な紹介としては,「抽象=創造」の会員である彫刻家ジョルジュ・ヴァントンゲルローと知遇を得て,機関誌を入手していた下郷羊雄「“L'artnon-figuratif”解説」(新造型2)が最初であった。さらに岡本太郎との文通によって,フランス前衛画壇における抽象美術と超現実主義の対立関係を知ると,下郷羊雄「抽象派の展開シュールレヤリスムとの交流について」(みづゑ375)において,純粋な抽象美術の登場を期待するとともに,自己の行く道としては,抽象美術との融合による超現実主義の新しい可能性の探究をはじめている。同時期(1936年)は,下郷にとって参考になるものであったと思われる。長谷川三郎「コンクレティズムその他」(みづゑ375)もまた,「新具象主義」を「アブストラクト絵画の豊富化のひとつの道」として,抽象美術の立場から評価している。長谷川三郎「アブストラクト・アート(ABSTRACTART)」(みづゑ374)は,H.リード『芸術と産業』を翻訳・紹介しながら,抽象美術について論述した日本で最初の論稿である。抽象美術が「機械時代の社会構成の美学的側面に於て本質的な重要地位を占める」というH.リードの抽象美術論を解説しているが,それ以上に重要なことは,「ノン・フィギュラティヴ(non-figurative非具象),ノン・ピクトリアル(non-pictorial非絵画的),ノン・リプリゼンタティヴ(non-representative非再現的)等々の語」ではなくて,「『アブストラクト』(Abstract抽象的)なる語」を使用しようというH.リードの言葉を引用して,ともかく日本において「アブストラクト・アート」という言葉と概念を定着させたことにある。また「アブストラクト芸術の理論及びその有能な実行者達から,近来益々多分の影響を蒙りつつあり,その理論の精神と,実行の進展性の豊富を信じてゐる」と告白しているように,日本の抽象美術運動の指導的ネオ•コンクレチズムに来日した「抽象=創造」の会貝である画家クルト・セリグマンの提唱する「新具象主義」-135-
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