鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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⑫ 十世紀彫刻の動向についての研究研究者:神奈川県立金沢文庫学芸員津田徹英はじめに日本彫刻史における十世紀は,木彫の発生とその多様な展開を遂げた九世紀と,彫刻の和様化の大成者とされる康尚・定朝の登場および彼らの華々しい活躍期にあたる十一世紀の間にあって,前代の木彫の惰性的な継承期とみなされるとともに,康尚.定朝の登場を前提として考えるならば,彼らの達成する和様へ向けての過渡的な時期としてとらえるのが一般的であったようにも見受けられる。しかしながら,その時代を生きた僧俗は必ずしも康尚・定朝によってやがて大成されるであろう和様を念頭において,そこへ至る過渡的な作風を作品に求めようとしたのではなく,やはり当代が理想とした独自の様式を作品に求めていたと考えなくてはならないであろう。本研究は十世紀の彫刻が志向しようとしたその動向を探ろうとすることを目的とするもので,このことを考えるうえで,(1)重要と思われる作例を精査するとともに,併せて,(2)史料面での考察を豊かなものとするために欠くことのできない基本文献の探索をおこなった。以下,本助成による調査内容を記すが,ここでは実査にもとづく考察の結果を述べるのではなく,調査対象となった各作例が今後,十世紀彫刻の動向をさぐるうえでどの様な問題を提起し,指針を示し得るかについて述べることにしたい。今回の助成にもとづく調査対象となった作例は次の4例である。1.滋賀・吉祥寺天部形立像〔その1〕像高106.8cm檜材ー木造〔その2〕像高107.9cm檜材ー木造本尊•吉祥天立像〔体内に正応四年(1291)銘の壇像風の如意輪観音像を奉籠する〕の厨子の両脇に安置される二艦の天部形立像である。(その1〕像は兜をつけ着甲し右手を大きく振り上げ,左手は垂下し,腰を右に捻って立ち,これに対して〔その2〕像は着甲するが兜をつけず,左手を振り上げ右手の掌を胸前で仰ぎ,腰を右に捻って立っており(その像容からこれを多聞天にあてることも出来よう),いずれも頭頂から(1) 作例の調査-138-

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