4.滋賀・橘堂三面六臀観音立像(像高99.5cm檜材ー木造)が(本尊として安置され,講堂には釈迦三尊,四天王像が安置されるその配置は比叡山における東塔の根本中堂と西塔の核をなす講堂の各本尊像に対応しており,書写山中に性空は比叡山の宗教空間を再現しようとする構想があったことを汲み取ることもできよう。ところで,本像に関して注意されるのは脚部に乾漆が一部併用されるとともに,その像容に天平彫刻を規範にしたかと思われる点が看取されることで,ちなみに,このことに関連してしばしば十世紀彫刻の作例(たとえば京都・六波羅密寺十一面観音立像,同・禅定寺十一面観音立像など)のなかに天平彫刻の復古性を認める向きがあるが,すると,性空は本像の造像に際し何に規範を求め,このような作風をどうとらえていたかが改めて問題となるといえよう。本像は十世紀末ごろの作風を示すものと考えられるが,ことにその図像表現において注目される。すなわち,頭上に十一面を配し,本面の右脇に慈悲相,左脇に念怒相をともなう六臀の立像としてあらわされる。現状では頭上面の全て,脇手のほとんどが後補となるが,その現状を見る限り千手観音像であったとはみなし難く旧様を踏襲した可能性が検討されよう(なお,その際,六臀で本面の両脇に慈悲相と念怒相を配する例を先行作例に求めると中国において敦煙画や鄭州市博物館蔵紫陽県大海寺址出土の石像などに見いだしうることが参考となる)。このような像容を説く経典儀軌は見当たらないが,本像が伝来した橘堂は比叡山の影響下にあったことから,本像に天台系図像のもつ多様さの一端を認めるべきであろう。従来,天台系の図像研究は東密系にくらべると本格化しておらず十世紀における天台系の図像の受容を考えるうえでその存在は貴重である。(2) 文献史料の調査彫刻史の方法論として,実作例の調査研究とともに併行して文献史料からの考察は欠くことができない。今日,文献史料を用いる場合は活字化されたものを利用することが一般的であるが,しかし,活字化された史料は数に限りがあるうえに,これを使用する場合,その翻刻に際して,校訂者の誤読や印刷段階での誤脱・桁字が少なからずそこに存在する可能性を芋んでおり,利用者の知らないままに誤読等の過ちを犯している危険が伴い,自ずと活字本使用の限界も存在するといわなければならない。それゆえ,原本が閲覧できる場合はこれにあたってみることが望ましく,また,一方で-140-
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