年10月にベルリンで開催の無鑑査展JuryfreieKunstschauに出品された事実が確認でまず筆者が第一の目的としたものは,別の機会に東郷青児のマリネッティ宛書簡とともに写真図版のみを発表し(「初期滞欧時代の東郷青児とイタリア未来派」『美術史研究』早稲田大学美術史学会第29冊1992年),しかし実見に及んでいない永野芳光の絵画作品2点を調査することであった。この2点,「バラライカを弾く男」と「トランプをする人たち」を調査して判明したことは,とくに前者の作質が予想以上であったことである。永野は東郷の義理の弟にあたり,みようみまねで絵画制作を始めたようであり,当然その強い影響下にあった。この「バラライカを弾く男」にもたしかに東郷の「パラソルさせる女」に通じる要素がうかがえるが,速度感のある形態表現には永野の努力のあとがよくみえる。永野作品がプランポリーニとヴァザーリの雑誌『ノイNoi』に掲載されるのも首肯できる。他方の「トランプをする人たち」の方も,村山が永野評としてしばしばレジェに言及することを納得させる作品であった。全体としては躍動感のある「バラライカを弾く男」と比較すると,静的な構成で,各部分が細分され画面に統一を欠く。さて,この両作品の裏には年記と画家自身による書込が残されていた。いずれも1922きた。まず「バラライカを弾く男」には「8Juli 1922」と「一九二二年/ユリーフライ展覧会に出品/帰国に際し未来派代表者/バサリー氏の委託二依り伯林に残して置く」とある(図2)。同じく「トランプをする人たち」には「5Juli 1922」と「未来派代表者バサリー氏の依頼に/依り同氏に委託/一九二二年/ユリーフライ展覧会に出品す」とある。図2永野芳光「バラライカを弾く男」裏面図3ヴァザーリのノート「イタリア絵画1922年5月」-8
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