鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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長(1673年安芸守)もまた好学で聞えた将軍綱吉にならい,堀南湖など多くの儒者を四旧浅野家コレクションに関する基礎資料の研究研究者:広島女学院大学教授原田佳子日本美術史の中でおよそ250年にわたる幕藩時代は,決して短い期間ではない。その間,ーロに300諸侯と言われた諸大名が収集所持した美術工芸品は,江戸時代の美術史を考えるうえで,決して等閑視できないと思われる。江戸時代を通じ美術品の強力なパトロンであった大名のコレクション,所謂大名道具とはいかなるものであったのか,大名の公的私的生活の中で用いられ鑑賞された大名道具が美術史の上でどのような位置を占め,どのように評価されるのか,まだ十分研究されていない。本研究は,広島藩主浅野家の旧コレクションがいかなるものであったかを明らかにし,近世の美術史に何らかの問題を提起しようというものであるか,今年度は絵画を中心に調査研究し,その形成と散逸,概要と特色を考察した。1.コレクションの形成と散逸まず浅野家初代長政から明治維新の時の14代長勲までの,コレクション形成の跡を探ってみたい。初代長政は信長,秀吉に仕えて,1593年(文禄2)甲斐国22万5000石を領し,2代吉長もまた秀吉に仕え,文禄・慶長の役に出征,1600年(慶長5)紀伊国37万6560石を領した。秀吉と相婿であった長政は千利休に茶の湯を学び,吉長は織部の弟子であったことから,長政・吉長時代に茶の湯の道具をはじめコレクションの最初の形成がなされたと推測される。1619年(元和5)3代宦髯の時,広島に移封され42万6500石を領したが,長晟(広島藩初代)は早くから堀杏庵,石川丈山らの漢学者を客分の侍講として迎え,6代綱登用,優れたブレーンを持ち藩の体制が整備されて行くのと平行して,武家の体面が図られ,主要なコレクションの骨子が形成されたと思われる。また幕藩体制が固まるまでの江戸時代初期は,美術品の流動も多く手に入れ易かったであろうし,加えて元禄頃までの経済的ゆとりは,美術品収集に欠かせない条件であったと思われる。江戸時代中・後期は積極的かつ大量な収集よりも,表具の改装や後で述べる上等な桐箱の調達など,コレクションの保存管理に注意が向けられたのではなかろうか。その他,歴代藩主のうち自ら絵筆を執って最も上手であった9代囁あ髯(1753年襲封),よしながながこと-149-

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