鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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ヽヽノ4年(1807)の銅版画「多賀城碑」(須賀川市・個人蔵28.3X 21.8)が知られている。方印と「なかたせんきち」の朱文瓢型印(ともに描き印)がある。富士山の稜線に宝永山を大きく表わしているのが特徴的で,手前の山々の描写なども実景を率直に捉えた感が強い。それだけに構図は未整理である。家々も描かれているが,人物は一人もみえない。富士の裾野を山がさえぎっていて,宝永山がかなりはっきりと姿を表わしている点などから,富士川以西,静岡県清水市付近あたりからの眺望ではないかと推測される。茶や暗橙色を中心に山々を塗り込めた描写,日本画風の家屋描写など,特徴的な画風を示す。この点で大和文華館所蔵の「駿河湾富士遠望図」にきわめて近似するものであり,富士の実写的描写という点からも,同傾向の作品といえる。両者の制作時期は近いと考えられる。大和文華館本は,画風上,これまで田善の油彩画としては異色の作品であった。新出の一本は,こうした画風が,ある時期存在した田善の一様式であることを示すものといえる。(2) 多賀城碑図(図2)銅版布刷一枚22. 0 X 15. 4 (cm) 須賀川市・個人蔵。木綿に刷られた銅版画で,描かれた碑の部分の高さが12.5cm,幅15.4cmという小さなものである。署名などは一切ない。多賀城碑図としては,文化これは多賀城碑の手前に一羽の鶴を配したものだが,本図では描かれていない。大きさも,新出本は文化4年本よりひとまわり小さい。文化4年本では,銅板を腐食させる前に碑面部全体を縦,横,斜めの密な直線によって埋め,その上に防蝕剤で碑文を記し,この状態で腐食させることによって文字部分を黒の碑面上に白く抜く技法が用いられている。新出本は,木綿に刷られているため技法がわかりにくいが,文化4年本と同様の技法と考えられる。文字は筆に防蝕剤/ 図1富士遠望図-155-

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