(2) 銅版画「大日本金龍山之図」の景観写を油彩で行なった画風を,晩年の様式と捉えることはできないだろうか。銅版画の代表作「大日本金龍山之図」(神戸市立博物館他蔵)では,参拝者であふれる広い境内の様子が,透視図法による強い遠近感をもって描かれている。描写の緻密さからも実景を正確に写しとったかの印象を受ける。しかし『浅草寺誌』などによると,当時,仁王門の両側には垣があり,境内を囲っていた。本図の制作者の視点からは境内は臨めなかった。仁王門の形や右端の露坐仏の数や尊容なども実際とは異なる。田善は垣を取り払うことで,境内風景を一望できる構図としたのである。各部の正確な描写にこだわらなかったのも,遠近法で統制した構図のなかに風景を収めることにこそ狙いがあったからだろう。大きさや画面形式の点で本図に類するものに,「ゼルマニア廓中之図」(文化6年)と「西洋公園図」がある。いずれも舶載作品を模したものであるが,構図や空間表現など,本図とこれらには共通する趣きが強い。「大日本金龍山之図」は,西洋銅版画に描かれた古代ローマやフォンテーヌブロ一宮の風景を,本邦金龍山の風景に換骨奪胎した作品といえるのではないだろうか。ところで「陸奥国石川郡大隈瀧芭蕉翁碑之図」(文化11年)では,大隈瀧のダイナミックな風景が実景さながらに描かれるが,そのために芭蕉の句碑は画面左隅に,見過ごしてしまうほど小さく表わされるだけである。実景をありのままにとらえた点で,「大日本金龍山之図」の作為的な画面作りとは対称的であり,こうした二通りの作画姿勢があったことは注目される。田善の風景描写を分析する一視点として提示したい。悉皆調査はなお継続していくが,さらに重要な資料が発掘されることも十分に期待される。本報告では,田善画業の総合的把握に先立つ基礎調査の成果を報告したが,上記の通りこのなかですでに作品の編年案につながるような知見も得ている。今後,調査とともに,データの分析にも力を入れ,画業研究により高い精度を加えていきたいと考えている。-157-
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