各時代の特徴を明確にするためであるが,画像処理の目的によって使用すべきソフトの選定は簡単ではなく,いまのところ良好な結果を得たとはいえない。また,文字データとグラフィックデータとの有機的なリンクをとるための分類の仕方や,それにともなうコードの設定も検討中である。現段階では,上記のような見通しを確認するための基礎資料として描き起こし図資料の選定と作成,そのグラフィック化を継続中である。サッタ太子,スダーナ太子などの本生図,法華経化城喩品や宝雨経などの変相図の描き起こし図に関しては選定作業は完了し,図化もほぼ終わっている。ここでは壁画主題を越えて把握される山岳表現展開について触れてみたい。[第254窟サッタ太子本生図]同じ窟の難陀因縁図,降魔成道図,白衣仏図に見られる山岳と比較すると錯綜しているように見えるが,一つ一つの山をうねるような稜線を濃色の太い描線で,その内側を淡色で表す描法にはかわりがない。難陀因縁図などの山岳が画面の上方あるいは下方に整然と並列されているのと異なり,サッタ太子本生図では,投身する太子や痩せ細った8匹の虎の背景を充填しているため,斜めに連なったり複雑な様相が見られる。色彩も青,緑,茶,黒系統の濃淡の変化が多様に見られ,その組み合わせも単調ではなく,さらに白いシルエットで鹿を添えたり,首だけを覗かせた山羊,太子を拝むような猿などの動物を配したり,太子が脱いだ衣を掛けた竹を数本描くことで雰囲気を出している。[第276窟文殊図,菩薩図など]樹下美人図のような構図で描かれた菩薩立像の背後に,淡彩が添えられた描線による岩山が出現している。初唐期以後には維摩文殊像の背後に急峻な山に続く柔らかな稜線を描く例がよく見られるようになるが,文殊像と山岳図の結びつき,およびその山岳表現の上でも隋代における先駆けとも見られるような新鮮な表現を見せている。下方のわりあい背の高い樹木をなだらかな稜線に並べた山と,上方(遠方)の随所に背の低い樹木を配したブロックを積み重ねたような岩山,その頂上にみられる張り出した崖の表現など変化に富んでいる。[第62窟]施身問偶図とも見倣されているものであるが,頂上を鋭角的に表現する山の重なりで急峻な山を,それと対比した表現でなだらかな低い山を描く。このような例はすでに北周時代の本生図の背景として,たとえばサッタ太子が投身する奥深い山と三兄弟で遊戯にでかけた山など説話の異なった場面で描かれることはあったが,同じ場面で遠近を表現する意図で描かれるようになったのは第419窟(隋)のあたりから-160-
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