鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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である。[第321窟宝雨経変相図]山岳表現の大画面化については,すでに隋代にその動きが見られるが,ここでは中央の説法図を区画せず,宝珠理洛が降り注ぐ傘蓋の中心と重ねて描かれた三角形をなすなだらかな大きな山の下に収めて,求心的な構図の画面としている。周辺にはこれに続く小さな連山がいくつも描かれ,その中に説話の画面をはめ込む。このような画面全体を一つの山岳構図で表したものとしては初例となる。周囲の山は主峰と同じ緑色で,中心から拡がる小波のように,内側を薄くぼかしながら幾重にも描かれていて,それが全体に柔らかい雰囲気を出している。主峰の周囲や画面右上には断崖の岩製を,白や茶色で縦の筋を入れることによって描く。このようななだらかな山と急峻な山の対比は先の隋代の2例(第276,62)に見られたが,急峻な山の表現は第332窟の方柱北面の釈迦霊鷲山説法図になると垂下する摺のみで記号化される。宝珠が降る中央上部の急峻な連山の稜線上には,一際濃い緑で樹木の連なりを表している。同じ表現の樹木は,周辺でもやはり先の鋭い山に部分的に見られる。それに対して画面左の狩猟の場面では,茶色の幹に緑や灰色の葉をつけた広葉樹をなだらかな稜線に添わせて描いている。隋代までは小さな連山の上でも,樹木は山よりはるかに大きく描かれたが,ここにいたってようやくその釣り合いがとれてきた。山岳にはめ込まれた各場面は,戸外の狩猟図を表すようなものでも,山そのものと調和しているわけではない。山の景観が先にあって,その中に無理やりにはめ込まれているような配置である。室内での写経とか屋根の修理の場面など,他の経典説話にもありそうな手慣れた場面が平面的に描かれる。以上のような代表的画例の分析によって,北魏以来,連綿と描かれてきた山岳が説話図とかかわりながら,隋代に多様な変化を示し多岐にわたっていたものが,唐代においてそれらの要素を収倣するように変相図の大画面の背景となったことをみた。この詳細な分析は名古屋大学文学部『美学美術史研究論集』第11号に掲載の予定である。-161_

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