鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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語場面の表現であるからポートレートとの安易な比較はできない。むしろここで強調すべきは,この特徴が15世紀ポートレート胸像の重要なー側面であるところのプロフィールからの観賞を妨げている点である。15世紀のポートレート胸像は側面からも見られることがあったと,これまでにも折にふれ指摘されてきた。その根拠となったのはマッテオ・チヴィターリの『ピエロ・ダ・ノチェト記念墓』(ルッカ,ドゥオーモ)のルネッタ浮彫りやヤーコポ・デル・セライオの『エステルの物語』(フィレンツェ,ウッフィーツィ)に描かれた胸像だったりした。15世紀のポートレート胸像が側面からも見られることがあったのを示すにはこれらの作例で十分であろう。しかし当時の肖像画やメダルに目を向けると,その多くがプロフィールであることに気付く。したがってこの時代ではポートレートといえばプロフィールが主であり,正面観は従であると考えるべきではなかろうか。さて,問題の像はたしかに胸を正面から見ればプロフィールを示す。しかし先に例示した肖像画メダルや他のポートレート胸像はその殆んどが首を捻らないか,捻ってもごくわずかであるために頭部とその他の部分が異なる面を見せることがない。またその首の角度の類似からウルスラ・シュレーゲルが問題の像をデジデリオに帰属する根拠としたサン・ロレンツォ聖堂の『聖ロレンツォ(聖レオナルド?)』にしても,その捻りの度合いはプロフィールからの観賞を妨げるものとはなっていない。胸像の分野では,ポートレートではないが,16世紀初頭のミケランジェロの『ブルータス』まで,このような捻りを示す作例は現われてこないのである。かりに問題の像がドナテッロの15世紀半ばの作品とするならば,約半世紀にわたってこの巨匠の影響が見られないということはまことに奇妙であると言わざるを得ない(4)0 ・図像古代風のトーガを身につけ,顔に2つのいぼをつけたこの像は,かつてやはりいは‘を特徴とするキケロの像ではないかと疑われたことがあった(5)。デスマスクマスクの使用が判明し,そのモデルが近世以降の人物であることが確認された今日では,この同定には無理がある。しかしながら,わざわぢトーガをまとうということはこの像の作者なりモデルなりがそのいぼを意図的に利用してキケロに扮装させた,あるいは扮装したと見るべきであり,さらにキケロには1つしかないいぼを2つのままにしておいたということはこの像をマスクをもとにした「キケロ像」としてではなくライフ-170-

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