Mtinchen 1924, pp.135-153. キケロに姿を借りた個人の肖像と考えていたことがうかがわれる。何者かに扮装した姿を表現することは15世紀美術には頻繁に見られる。しかしその場合は,当時の人物の姿を借りて,歴史上・伝説上の人物を表現しており,また「マギの礼拝」をはじめとする物語場面に描かれることがほとんどである。問題の像と同じ条件を備えた肖像が盛んに表わされるようになったのは,デューラーの1500年の『自画像』を引き合いに出すまでもなく,16世紀初頭のことである(6)。この点でも,バルジェッロのテラコッタ像を15世紀半ばに置くのは無理であると言えよう。・結語ある意味で,15世紀のポートレート胸像の成立や変遷を追っていたポープ=ヘネシーやレイヴィンの研究は帰属,制作年代,モデルのはっきりした作例を中心に扱う,いわば点をつないだものにすぎない。レイヴィンは問題の像を考察の対象に含めなかったし,ポープ=ヘネシーは近著でこの像を「イタリア・ルネサンス期における最初のポートレート胸像」としながらも,以前の論(7)を再考するには到っていない。あるい確立しつつあるこの像を等閑視して論を進めることはナンセンスである。以上の考察は,やはりいまだにいわゆる『ニッコロ・ダ・ウッツァーノ』の地位が危ういものであることを明らかにした。今後も引き続いて,より広範な目でポートレート胸像以外のジャンルの作品も射程に含めつつ,更に調査・研究を行っていきたい。.註(1) Irving Lavin, ~nin_gof the Renaissance Portrait Bust, (4) ちなみに19世紀の贋作王,バスティアニーニによる胸像,『マルシリオ・フィチーノ』が首の捻りという点では問題の像に近い。は15世紀ポートレート胸像の端緒となるかもしれなかった,また近年そうした地位を
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