きんぷせん(2) 北野天神縁起絵巻における日蔵諏の画面の役割面の分析をとおして,それらが天神絵巻の構成に果している役割と,又そこから提起される中世の宗教絵巻の構成上の問題について,論じてゆくこととしたい。この縁起は,宇多天皇と醍醐天皇の二人の天皇の治世に,当代一流の文人・学者として,又政治家として重要な働きをなし,栄華をきわめつつも,政敵藤原時平の誨言により大宰権帥に左遷され,配所にてさびしく没した菅原道真(よん心〜』鼻i)の一代記をもとに,その死後,彼の怨霊をなぐさめる為に創建された北野社の各種の霊験諄を加えて,構成されている。そして,物語の展開に従って,「道真の生涯」・「道真没後のその怨霊の活躍」・「北野社の創建」・「北野社の霊験」の四段からなるとされている。一方の日蔵謂は,吉野の金峯山の岩屋に籠って修行していた高僧道賢(のち日蔵と改名)が頓死して,太政威徳天となった菅原道真や蔵王菩薩に導かれて冥府の各所をの息子へと託宣がくだった二つの説話と共に,第三段の「北野社の創建」にかかわる説話として位置付けられている。しかしながら,後の二説話が,北野社の創建へ直接つながる内容をもち,かつ各絵巻において,モティーフや画面構成の上で強い共通性を示しているのに対して,日蔵譜は,縁起文及びその原説話をふくめて共に長大で,又変化にとんだ内容をもち,更に絵巻においても,いわゆる甲類・乙類・丙類と分類された絵巻群ごとに,又同じ甲類の絵巻である承久本とメトロボリタン本との間においても,きわめて変化にとんだ構成を示している。このことは,日蔵諏とその画面が,縁起文及び絵巻の全体構成の中で,ややもすると統一をそこないかねない存在として,すなわち,いささか唐突な,ある種の違和感をともなうかたちで挿入されていることを意味していると,言えよう。しかし私は,従来からいだいていたこの疑問に対して,昨年6月メトロポリタン美術館(ニューヨーク)で,件の絵巻を実際に調査したことにより,新たな解釈を得ることができた。確かにこの絵巻は,詞書及び画面の欠損部分が甚だ多く,又現在は5巻本に仕立て直されている為に,制作当初のすがた(構成)を忠実にたどることはできないものの,むすめねぎのみわのよしたねめぐり,後日蘇ったと言う説話であるが,その次の多治比の女あやこ及び禰宜神良種-180-
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