鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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a.吉野の金峯山の笙窟にこもり修行していた道賢はそのまま絶息する。b.西の岩上に一宿徳和上(蔵王菩薩)が現われる。西の虚空より,日本太政威徳天d.道賢は更に蔵王によって,地獄を案内され,鉄窟苦所で責苦を受けている延喜帝C.太政天は蔵王に,道賢を自らの居城である太政威徳天城に案内し,その後に(現とりわけ「延喜帝(醍醐天皇)の朱雀院行幸」以降「延喜帝の譲位・落飾.崩御」までの各段が非常に密接にからみあいつつ急展開してゆくことによって,道真の後半世(栄達・失脚・配流・死)とその怨霊による復讐の物語を,非常にドラマチックなかたちで語っているのである。そして承久本において,この傾向は,一層強いものとなっている。しかしながら,こうした緊張にみちた一連の画面があってこそ,初めて,次に配される日蔵謂の画面の意味ー絵巻の構成上の役割ーが大きなものとなり得るのである。すなわち,道真が人一倍才能にめぐまれた人物であり,又その前半生が明る<順調なものであればある程,その後半生の暗転のはげしさ(落差の大きさ)が際立つのであり,かつ道真の憤死の妥当性やその怨霊の報復の正統性が示されるのである。そして,前述の二つの託宣につづく北野社の創建と種々の霊験諄を語るためにも,この日蔵諏において,道真の悪神(怨霊)から善神(守護神)への「転身」の理由とその過程を,できるだけ具体的にかつ順序だてて述べることが,天神縁起及び天神縁起絵巻の構成上,是非とも必要であった筈である。尚,非常に複雑でしかも荒唐無稽とも言うべき日蔵諜の内容については,各縁起文や各絵巻の詞書,又その原説話において,多くの異同があるが,それらの共通項目として,以下のものをあげることができる(注1)。(菅原道真の化身)の一行が現われる。世に)送り返すことの許しを得て,共に旅に出る。(道真を配流した醍醐天皇)に出会う。そして帝よりその救済の為の供養を嘆願される。f.道賢は金峯山での体験を天皇に奏上する。その中でもとりわけ,C.において太政天が日蔵に「國こそりてわかための大怨賊なり,誰人か尊重すへきや,佛にならさらんかきりは,いつれの時にかこの恨を忘るへき,但人信心ありて,わか形象をつくり,わか名琥を唱へて,念比に祈こふ事あるe その後道賢はよみがえる。-181-

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