こまのゆきみつ(3) 中世の宗教絵巻との関係ならは,われ感應をたれんこと響のこゑにしたかふことくならん」(建久本による)と述べることによって,北野社の創建への明確な道筋がひかれたのではないだろうか。又その意味で,承久本やメトロボリタン本の画面に展開する一連の「地獄絵」や「六道絵」は,単に地獄や六道の諸相を描くものではなく,ひとつの明確な目的のうちに高僧がそこを旅する,一種の「地獄めぐり図」や「冥府巡歴絵」として理解すべきものなのである(注2)。そしてこのことは更に,「北野天神縁起絵巻」が,①道真の悲劇の物語を描く,言わば,「世俗の人物の一代記絵」の部分と,②日蔵譜にみる一種の「高僧伝絵」や「冥府巡歴絵」の部分,そして③北野社の創建の場面や利生讀を描く「社寺縁起絵」の部分と言う,性質の大きく異なる三層より成る,「重層的性格」を有していることを意味している。最後に,この天神絵巻の日蔵諏の画面と中世の宗教絵巻との関係について,ふれておきたい。すなわち,前章で述べた「冥府巡歴絵」としての地獄絵は,鎌倉時代・室町時代を通じて,件の天神絵巻の諸本のみならず,各種の高僧伝絵巻や社寺縁起絵巻にしばしば組込まれ,その絵巻の構成上の柱となっている。その例として,「矢田地蔵縁起」(京都・矢田寺)の満米上人・武者所康成の蘇生諏ゃ,「春日権現験記絵」(御物)の狛行光(興福寺の舞人)の蘇生諏(巻六第一段),「融通念仏縁起」(京都・禅林寺)の北白川の下僧の妻の蘇生諜(巻下)などを,あげることができる。これらの絵巻では,天神絵巻にみる,主人公が迎えの者に導かれ,様々な冥府を旅すると言う,伝統的な冥府巡歴の構成よりも,むしろ,主人公が経文の読誦や地蔵菩薩への信仰と言った生前の善業の功徳によって,閻魔王庁(地獄)からの帰還を許されると言った,新たな構成を示しているが,その一方で,話型の類型化が進んでおり,日蔵諏の画面が天神絵巻において果したような積極的な役割をそれぞれの絵巻において果しているか,疑問が残る。それに対して私は,天神絵巻の日蔵讀の画面が提起した問題の基本は,何よりも,プロットの大きな展開をみせる地獄絵の登場にあると考えたい。-182-
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