鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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すなわち,平安時代末期の一連の地獄絵ー「地獄草紙」ーは,詞書と画面との対応関係を保ちつつ,経典に述べられている地獄の光景をひとつひとつ絵画化した,一種の「図像集」的性格をもつ絵巻換言すれば,凝縮された個々の画面を連続させた絵巻であった。一方の,鎌倉時代初頭の制作にかかる「承久本北野天神縁起絵巻」の日蔵諏は,地獄を中心とする冥府が舞台となって画面が展開する,換言すれば,明快で変化にとんだ筋の展開をもつ画面による「冥府巡歴絵」(説話画)である。その意味で私は,このような地獄絵の変化(質的変容)を,あえて「仏画の説話画化」として,とらえる者である。それは,本来,礼拝あるいは教化や救済(浄土への往生)の為の方便であった仏画が,基本的に,鑑賞されるべきあるいは語られるべき対象である絵巻の画面に導入されることによって,より身近なかたちでの画面を構成し始めたことを意味している。そしてこのような観点に立つ時,同様の変化が,地獄絵とは全く対照的な存在である来迎図においてもおきていると,言えるのではないだろうか。その例として,「当麻曼荼羅縁起」(鎌倉・光明寺)の姫尼君の往生に際しての二十五菩薩の来迎(下巻第三段)や,「法然上人絵伝」(京都・知恩院)の法然の法華三昧の場への白象に乗った普賢菩薩の影現(巻七),「男食三郎絵詞」(文化庁)の浄見関での観音菩薩の示現(第四段)などがあげられよう。すなわち,これらの絵巻においては,いわゆる説話画の画面に,仏画的要素のつよい諸仏の来迎の場面がたくみに挿入されることによって,物語の展開がはかられると共に,その宗教性や神秘性が大きく高められるのであり,この点で一連の来迎の場面は,絵巻の構成の上で,重要な意味をもっていると考えられるのである。「北野天神縁起絵巻」における地獄絵の意味を検討することをめざして出発した今回の研究は,天神絵巻の構成を問い直す作業をとおして,中世の宗教絵巻における「仏画の説話画化」と言う,新たな問題を提起した。私は今後,より多くの作品にふれることによって,この問題をひきつづき検討してゆきたいと,考えている。注1承久本の日蔵輝においては,詞書を欠き,又画面は,現在紹介されている天神ようげんきよみがせき-183-

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