なま⑪ 芹沢娃介に関する研究研究者:東北福祉大学芹沢娃介美術工芸館助教授濱田淑子芹沢娃介が逝去して9年が過ぎ,1995年には生誕100年を迎える。1976年にパリ,グランパレで,1979年にはアメリカ,サンディエゴで芹沢娃介展が開催されて大きな反響を呼んだ。国内の各地でも何度か展覧会が行われるなど,生前から日本の代表的工芸作家として,また国際的にも評価の高い芸術家であった。着物,帯地,壁掛,卓布,団扇,カレンダー,絵ハガキ,燐票,書票,本の装禎,挿絵,そして鑑賞用の屏風,軸,額絵を型絵染で制作した他に,板絵,ガラス絵などの肉筆の作品,さらに緞帳や,行燈,ステンドグラスのデザイン,内装などの立体造形にまで及ぶ。生活全般のアート・ディレクターとしての幅広い造形活動と,膨大な量の作品群は近代から現代の芸術の中では稀有な存在といえる。日本の近代〜現代の工芸史の中で,卓越した文様の創造を行なった作家として富本憲吉が取り上げられるが,文様創造のオにおいて,またその多彩さにおいて,芹沢は他に類がない存在と考える。肉筆やデザインを含む多彩な創造の中で,彼の本領は型絵染作品において最も発揮される。日常の弛みない写生が文様となり,型紙に彫られることによって,生な個性は消えて明快なフォルムとなる。糊を置き,色挿しをして,水洗いが済むとそのフォルムはさらに純化して,物の本質美が現われる。糊防染という伝統的型染の道を選び,一貰した作業を行ったのは,民芸運動を進めていた柳宗悦の「工芸の道」による所であり,また一枚型で染められる琉球紅型の堅固な文様と,美しい色彩に突き動かされたからであった。こうして生れた型絵染作品及び作家としての芹沢を深く理解するためには作品自体の分析だけでなく,完成する過程について知ることが必要となろう。これまではどちらかというと作品それ自体について多くの人々によって語られてきた芹沢娃介であった。芹沢の逝去後,その住居は静岡市立芹沢娃介美術館に移築されたが,工房は現在も東京都大田区蒲田に残されている。逝去後まもなく長男の芹沢長介氏が型絵染作品の源というべき型紙の整理を行なった。戦災で全焼して以後制作された約10,000枚の型紙と,写真撮影した資料が工房内に保管されている。1981年に開館した静岡市立芹沢娃介美術館には600点の作品と4,500点に及ぶ収集品が収蔵されている。翌1982年には中央公論社から2年がかりで刊行された「芹沢娃介全集」全31巻が完結した。この時-185-
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