かめだれ類整理中であるが,その内容は,30オ頃から戦前のもの,家族との団らん風景,蒲田の仕事場での制作中の芹沢,知恩院荘厳布やインド,クシナガラ釈迦本堂の釈迦十大弟子尊像の制作中の写真,パリ展の写真,旅行中のもの,柳宗悦,棟方志功,浜田庄司など知己との写真,文化功労者,フランス芸術文学功労章受賞写真,毎年の誕生会風景,そして作品とコレクションが自分の住いの中で用いられている写真,作品,コレクションの記録写真などである。これらの写真資料は芹沢像を把握する上で重要な資料であり,年譜を編む際の裏付けともなろう。1928年に上野の「国産振興博覧会」に出品されていた琉球紅型の“うち<ゐ”(風呂敷)に感動してから10年後の1938年に芹沢は初めて沖縄に出かけた。形附屋で紅型の技法を学び1943年には「琉球の形附」を著して刊行した。そして沖縄壷屋の金城次郎から素地を取り寄せて絵付けを行ない赤絵陶器を制作した。沖縄に魅せられた芹沢はその後も何度か訪れて,沖縄の風物を作品化している。また,甕垂文着物や布文着物など多くを沖縄,喜如嘉の芭蕉布に染めている。沖縄の芹沢を追体験すべく,1993年8月に首里の紅型工房,壷屋,喜如嘉の芭蕉布工房を訪れた。中でも紅型工房においては型彫り,一枚型による型染めの一貫作業の技法に芹沢と同一の技法を見ることができた。現在紅型工房に働く若いエ人達は一様に芹沢の仕事に敬意を表していた。芹沢の明るく美しい色彩はこの地に発していることを痛感した旅であった。芹沢自身,紅型の技法が健在であった頃の古様の秀れた紅型衣裳やうちくい,幕を32点収集しているが,これらの紅型の技法と,芹沢の型彫り,色彩が非常に近いことに気づく。芹沢には彼の「もう一つの創造」と称された収集品がある。世界各地,諸民族が生活の中から生み出した工芸品の数々を精力的に収集しているのである。これらの中には,すでにこの世から消滅した品々も含まれている。日本,中国,台湾,朝鮮,チベットをはじめ,インド,インドネシア,タイ,ニューギニア,ヨーロッパ,中近東の国々の染織品,木工品,土器,家具,絵画,本がある。そして,彼が最も力を注いだと思われるのは,プリミティブな造形である。晩年になってアフリカの仮面,木彫,染織,土器や,アンデスや北米の先住民族の染織品,土器,土偶,装飾品に潜むプリミティブィズムに魅了されたらしい。20世紀初頭に,ピカソやマティスなど多くの西欧の芸術家たちがアフリカの仮面や彫像に触発されて,フォーヴィスムやキュビスムなどの新しい芸術運動を起したことはよく知られる。芹沢は「自分の作品に収集品は関係がない。ただ物が好きで集めているだけ」と生前語っていたという。しまい込ん-188-
元のページ ../index.html#195