鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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その他参考作例として資料蒐集した聖堂キプロス島は,965年にビザンティン皇帝ニケフォロス・フォカス(在位963-969)により6世紀から続いたアラブによる支配から開放されて,ビザンティン帝国領に入った。キプロス島は地理的に帝国の首都コンスタンティノポリスや,小アジアのアンティオキアと近いため,皇帝アレクシスー世コムニノス(1081-1118)により島内に点々と要塞が建設され帝国領における軍事的重要性が高まった。それに伴って首都から政府の要人,教会の高位聖職者などが派遣され12世紀半ばまでは比較的安定した繁栄を見ることとなった。皇帝を名のり,専制君主としてここを支配したが,1191年には,首都に先駆けて十字軍に占領され,以後400年にわたりフランスやベネチアの支配を受けることになった。ラテン人の支配に伴い,12世紀末以降ラテン教会が島に建てられるようになると,キプロスの正教会は生き残りのための戦いを余儀なくされた。以上のようなキプロス島の歴史に照らし合わせて明らかなように,今回の調査対象とした聖堂は,中期ビザンティン時代のマケドニア朝とコムニノス朝の首都の芸術と関わり深く成立している。これらの聖堂装飾に共通して見られる特徴は,まず第一に帝国の首都の様式や絵画技術を体得した首都から来た画家による制作,そうした画家たちとキプロスの地方的画家たちとの共同制作,あるいはキプロスの画家独自の制作が併存していることがあげられる。また小アジアやシナイ山のカテリナ修道院との密接な関わりによるその影署がみとめられ,それが一つのキプロス島独特の状況を作り出している。ラテン人支配以後も,トロオドス山地の山奥に引きこもった正教会の聖職者たちによる聖堂建設やその装飾は続けられたため,各聖堂には異なる時代の壁画が重層的に残されている。その中にはラテン教会の絵画の影響を受けたキプロス独特の様式といえるものも生みThe Church of St. Anthony 10-13世紀The Church of Panagia Angeloktistos 6世紀The Church of St. Sozomenus 1513 The Church of the Archangel or Panagia Theotokos 1514 The Church of the Holy Cross of Agiasmati 1494 -194-Kellia Kato Lefkara The Church of the Archangel Michael 12世紀Kiti Gala ta 1184年に皇帝マニュエル・コムニノスの甥イサク・コムニノスがこの島に来て自ら

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